06:一式陸攻を探す旅。 ~マルチビームソナーを用いた海底調査~
こんにちは。
夏の暑さも次第に和らぎ、段々と過ごしやすくなってきた今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。
前回は船とアクションカメラを用いて中海の海底の様子の撮影を試みました。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
残念ながら目的の「険悪地」の正体が何なのか把握するには至りませんでしたが、海底の様子や水の透明度などが分かり、次につながる成果はあったかと思います。
この海底調査は5月上旬に行いました。
そして6月、中海に沈む一式陸攻のことが地元の新聞に取り上げられました。
この記事によって一式陸攻のことが地元の多くの人に知られることとなり、多くの反響がありました。一式陸攻の不時着を見たという方が新たに連絡をしてきてくださったり、その方を経由して海没処分前の二式大艇を見たという方からもお話を聞けたりなど、調査が進展するきっかけにもなりました。
そしてなんとこの新聞記事をきっかけとして地元の建設コンサルタント会社から電話があり、御厚意により最新鋭の「マルチビームソナー」という測定機器を用いて中海の海底を調査することになったのです。
なんと運が良いのでしょうか。こんなに上手い展開が来るとは思いもしませんでした。
と、いうことで今回はその調査の様子と結果を書いていこうと思います。
今回協力してくださったのは鳥取市に本社を置く「アサヒコンサルタント株式会社」様です。
↓ホームページ
通常は非常に高額な費用のかかる調査を今回は無償で引き受けてくださいました。本当に感謝してもしきれません。地域に根差した、とても良い企業です。
また調査に使う船は地元の方が快く協力してくださり、無事に用意することができました。本当に色々な方のご協力のもと、実現できたのだなぁと思います。
さて、今回の調査の目的は、有力候補である例の2つの険悪地の正体を解明することです。
それから海底の詳しい地形を把握すること、もし何かそれらしい物体が見つかれば水中ドローンを用いて撮影します。
7月20日、調査前日。
この日は調査で使うソナーを船に固定するための金具を取り付ける作業でした。
船名は「OSPRAY-Ⅴ」。
1隻目はⅠで段々とグレードアップしていき、これで4隻目だそうです。
これが金具。木材は隙間の調整に使うとのこと。
40分くらいで取り付けが終わりました。
これはパソコンと何やら高そうな機械。おそらくソナーで得た情報を処理するコンピュータなのでしょう。測定画面はパソコンを用いて見るそうです。
この日はこんな感じで機材の確認、調整や試験運転をやって終了。
そして翌21日。いよいよ調査当日。
若干悪天候でしたが、波がなかったので雨天決行。
昨日用意した土台にソナーを取り付け、パソコンなども船に設置します。
かなり本格的です。
早朝7時30分、出港。
測定画面はこんな感じ。
前回の記事でも書いた通り海底は凹凸のほとんどないまっさらな砂地のようです。
出港から約15分後・・・
写真左上の赤丸、航海用のブイの間にある険悪地の上を通過。
ここには高さ0.6mの海底障害物があるはずですが・・・測定画面に映るのは平坦な砂地のみ・・・
船上からでは険悪地は確認出来ませんでした。何故?
さらに15分後、例の一式陸攻の不時着現場とされる付近に到着。
目指すはこの険悪地。
GPSを見ながら雑巾がけをするように海上を往復し、周辺を満遍なく測定していきます。
が、しかし・・・一向に飛行機らしき物体は映らず。岸に近付いたり、離れたりして場所を変えましたが駄目でした。
そのうち天候が急変し波もかなり高くなってきたので予定より早く終了しました。
まだこの段階ではデータをきちんと見ていないのですが、「調査した範囲に飛行機の形をした物体は無かった」ということだけは確実に言えます。
おそらく今回測定した範囲の外にあるか、もしくは上から見てもわからないくらい砂に埋もれてしまっているのでしょう。1つの成果としては中海の正確な海底地形が把握できたことでしょうか。
終戦から今年で74年、その74年という歳月の長さと人の営みの儚さを見たような調査でした。
調査実施から約1ヵ月後の8月中旬、アサヒコンサルタントさんから調査結果のデータが届きました。
測定箇所が2箇所ありますが、ちょうど↓の写真の赤丸の周辺を測定しています。
左上の方の測定箇所です。全体の水深は10m程度。
右の方にある赤い点はブイです。
↓こんな感じ。
このブイ以外はずっとこんな感じで何も見当たりませんでした。
続いて右側の測定箇所。
海図と同じ地形をしているのがお分かりでしょうか。
そして例の険悪地ですが、多分これ。(画面の明るさを上げると見やすいです。)
この画像だと非常に分かりにくいですが、板状の物体が海底に出ています。
場所は↓の赤丸の部分。
海図記載の険悪地の場所と同じですね。
この板状の物体、大きさはというと...高さ約1m、長さ約1.7m、幅約0.4mです。
これは一体何でしょうか。これが飛行機の一部だというのはあまりピンときません。
もし仮にあり得るとすれば、垂直尾翼でしょうか。
他には目立って障害物らしき物もなく、なだらかですが戦後に大量の砂を採取しているため、山みたいになっているところが所々見られます。
深くなっている所の方が多いというのは予想外でした。
そんな訳で、今回はマルチビームソナーを用いた海底調査の様子とその結果を見ていきました。当初はもっとわかりやすく飛行機が落ちてるかなと思っていましたが、なかなかそう上手くはいかないものです。
今後は
・今回調査した範囲外にある。
・範囲内だが完全に砂に埋もれている。
という2つの可能性について探っていこうと思います。
~つづく~
05:一式陸攻を探す旅。~険悪地の正体に迫る~
こんにちは。
日に日に気温も上がり、もはや暑いまである今日この頃ですね。
前回の記事。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
昨年の8月末から本日(2019年5月)に至るまで、この中海に沈む一式陸攻についての進展は特にありませんでしたが、並行して調査していた「二式大艇」や隠岐の島の水上機などについて、新たな発見がいくつもありました。
今までは分からなかった機体の処分場所についての証言が得られ、近いうちに周辺を調査をする予定です。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
先日隠岐の島へ行き、話を聞いてきたので、また後日記事を更新します。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
この他にもいくつか調べていることがあります。また、ある程度形になったら紹介しようと思っています。
さて、今回の内容に移ります。
なんとこの度、陸攻捜索のために船を借りることができました。
いくら暖かくなったとはいえまだ5月です。
沖合300mまで泳いでいくにはまだ水の冷たい季節だったのでこれは大変助かりました。
今回は以前紹介した湖底の険悪地の正体はいったい何なのか、その正体に迫っていこうと思います。
その前に。
前回も言いましたが、まず第一に例の険悪地がある海底12mの様子をどうやって観察するか、という大きな問題を解決しなければいけませんね。
水深12m、素潜りで行くにはちょっと深いです。
スキューバの道具やサイドスキャンソナーを借りようにもまだ、そこまでの資金が出せません。現段階では多くの人を巻き込んで資金を調達するというようなことは不可能です・・・
できるだけ安く、楽に湖底を観察する手段が求められます。
そこで思いついたのがこれ、アクションカムです。
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これに防水措置を施し、船上から紐で吊り下げて、水中を観察します。
↓お金がないならこういう安いのが良いです。品質と性能ともに本家とそこまで大差ないです(個人の感想です。)
このように重りとホームセンターで買った金具を使って、
こう。
命名、浅瀬調査艇「ちゅうかい3000(cm)」
かの有名な有人潜水調査艇「しんかい」を真似てこの名前にしました。
カメラの防水性能は約30mです。
これに紐をつけて船上から垂らします。
また、せっかくなので映像をリアルタイムで見たいです。
このアクションカムにはwifi機能がついており、スマホやタブレットで映像をリアルタイムで見ることができるのですが・・・
それが水中では全く通用しないのです。
理由はただ一つ、水中ではwifiの電波が遮断されてしまうから。
そこで水中でもwifi接続を維持する方法はないか調べました。
するとこのような商品が...
このケーブルの中にwifiの電波を這わせる(?)ことにより、水中でも接続を維持することができるようです。とても画期的な商品ですね。数件のレビューを見ましたが、どれも問題なく水中、水上間でのwifi接続の維持に成功していました。
しかし・・・長さが10mしかない!足りない!
とても残念なことに10m以上の長さのものは売っていませんでした・・・
こうなっては仕方がありません。
「自作」という第三の可能性に活路を見出すことに・・・
さっそく「gopro wifi 水中」と検索すると意外にあっさりとこのケーブルを自作する方法が出てきました。しかも結構簡単、そして買うよりずっと安い。
私でも出来そうな感じだったので実際に作ってみることにしました。
主に必要な材料はこれ。
マスプロ電工 家庭用75Ω4Cケーブル 灰色 20m S4CFB20M(H)-P
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テレビ関係の配線で使うケーブルっぽいです。大体1mで140円くらい。
上のリンク記事に詳しい解説が載っているので詳細は省きますが、このケーブルの先端を加工することで実際に売っているwifi延長ケーブルと同等の働きをするものを作ることができます。
①切って中身のコードを出す。
②出した決まった長さにコードを加工。
電波の速度(300000km/s)とwifiの周波数(2.4GHz)からなんやかんや計算して出した長さ、31.25mmにそれぞれのコードを加工します。
③水が入らないように適当に処置。
ちなみにコードが直接水に触れるようにしておくと失敗しました。
準備が整ったので早速運用試験。
結構はっきり映っていますね。これならいけるかもしれません。
タブレットを使ってリアルタイムで中継してみましたが、2秒程度の遅延があるものの10m以上の水深があっても問題なく見ることができました。
あとはこれが、現地でどのくらい通用するか・・・
と、いうことで迎えた調査当日。
2019年5月1日、令和になって初めての日です。
GPSと険悪地の座標を元に、船で例の険悪地を目指します。
が、これがなかなか難しい。
GPSに多少の誤差があることに加えて船が流され、同じ位置で留まっておくことが非常に困難でした。錨を下ろしても湖底がヘドロであるため、きちんと固定ができません。これは予想外でした。
作戦を変更し、船で険悪地周辺を行ったり来たりしながら湖底を撮影することに。
↑カメラ本体の設定ができていなかったので日付はめちゃくちゃです。
これは少し外れた地点の様子です。水深は8m程度、湖底は砂地で何の凹凸もなく、まったく生き物が住んでいません。
湖底はゴミだらけでは?と思っていましたが、想像以上に綺麗です。
こっちは水深10m以上の地点。こちらは例の険悪地に近い位置です。
この日は曇りで湖底まで光が届かないのか非常に暗く、何も見えませんでした。
さらに底に積もったヘドロが、視界を邪魔しています。
この視界の悪さではちょっと捜索するのは難しいですね・・・
結局、こんな感じで3時間くらい湖底を撮影し続けたのですが例の険悪地の正体を捉えるには至りませんでした・・・
非常に残念です。座標が分かっていて、船があったとしてもここまで難しいとは思っていませんでした。
これは逆に泳いで行ったほうが良いかもしれません・・・
今回はここまで。
船まで使って行った初の調査でしたが、残念ながら険悪地の正体を見ることはできませんでした。でも、まだこれで諦めるというわけではありません。
今年の夏に、再び挑戦したいと思います。
~続く~
「2台目」甦れ!!タウンメイト!!! ~ついに公道復帰!!~
こんにちは。
前回はオイル上がりの修理のため、エンジン腰上のオーバーホールを行いました。
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結果、なんとか成功し、オイル上がりは修理することができました。
エンジンも復活し、走る準備が整ったので今回は残りの部品の準備をしてナンバーを取り、いよいよ公道復帰を目指します。
まずはバッテリー。
台湾ユアサのYT4L-BSという型番のバッテリーです。これがタウンメイトの純正サイズ。
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前回買った時とは異なり、今回は未完成の状態で送られてきました。
バッテリー液(劇薬)が入っているのでこぼさないようにバッテリー内に注入します。
入れたら30分くらい放置します。
しばらく置いて反応が終了したら蓋を閉じます。これでバッテリーの準備は完了。
また、今回はバッテリーステーが6V用のものしかありません。
↓6V車のステーと交換したためです。
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6Vのバッテリーは小さいのでサイズが合いません。なので干渉する部分はカットします。
これで車体に搭載します。ショート防止のためにバッテリーには薄いゴム板などを巻き付けるといいと思います。
次は、ヘッドライトの修理。ライトの金具周辺の樹脂が溶けて穴が開いていたので、四角目スーパーカブの物を切り取って移植することにしました。
熱したはんだごてで溶かし、円形に切り取っていきます。
セメダイン。
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印をつけて位置を合わせ、接着します。
若干後ろへ突き出てしまいましたがまぁ、まともに使えそうな感じです。
何気に一番手間がかかったのがエアクリーナーボックス。
ネジが完全に腐っていて開けることができず、やむなく工具で切断することに・・・
クリーナーのスポンジは純正は値段が高くて嫌だということだったのでホームセンターで買った190円くらいの安物スポンジを切って使いました。
耐久性はまだ不明ですが、一応これでセッティングは出せました。
↓700円くらいできちんとしたものが売ってます。
もうほとんどレストアも終盤ですね。
最後の仕上げに車体に文字を入れていきます。
サイドカバーには「01」、フェンダー部分には「YAMAHA」と白い文字で入れました。
2台買った50ccのタウンメイトのうち、この車両は初めに買ったものだったのでこの01は「1号車」という意味です。
ちなみに以前レストアした車両は2号車なので「02」と入れました。
2号車の方が先に完成するっていうのがなんかいいですね・・・
↓1号車を買ったとき。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
↓2号車を買ったとき。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
公道に出れるレベルになったと判断したので、さっそく市役所へナンバーをもらいに行きました。
「タウンメイト」と書いて申請したのに車名が「ヤマハ」になりました。
聞くところによると、どこの地域でも原付はこういう扱いらしいです。
ナンバーをつけたらいよいよ公道に出られます。
いやー、長かったです。結構手ごわかった・・・
さっそく、近くの波止場を走ってみました。
排気音がうるさいのはマフラーが錆びて腐り、下の方に穴が開いているからです。
アルミテープで塞いでみたりもしましたが、排気経路が塞がってしまい調子が悪くなったので結局開けたままにしてあります。うるさすぎない絶妙な音量なのでこのままでもいいかな・・・
と、いうわけでこの車両のレストアはこれにて終了。
なんとか直せました。結構な時間がかかってしまいましたが、いい経験になったと思います。
最後に2台を並べてみました。
ボロボロの不動車だった2台がこうして綺麗になって並ぶとなんか・・・感慨深いものがありますね・・・。
ちなみに、この1号車は今回レストアを一緒にしていた私の友人の所有になります。
家に不動のまま置いておくのは嫌だったので有効に活用できて大変気が楽になりました。
せっかく廃棄物からバイクへと復活した1号車にはトラブルや事故に遭うことなく長く走り続けてほしいです。
~おしまい~
「2台目」甦れ!!タウンメイト!!! ~オイル上がりの修理~
こんにちは。
前回は車体の塗装と部品の組付けを行い、エンジンを始動させるところまでやりました。
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なんとかエンジンは掛かったのですが、アイドリングが安定しません。
近くの空き地を走ってみましたが、どうも調子が悪い...
しかもなんと・・・マフラーからまるで2stエンジン車のような白煙が出ています。
初めは「まぁ、古いからな。」などとかなり楽観的に考えていたのですが、走っている内に段々と白煙の量が多くなり、しまいにはなんとマフラーの水抜き穴からエンジンオイルが滝のように出てきました。
何がどうなっているのかさっぱり分かりません。一体何が起きているんだ・・・
さらに追い打ちをかけるようにシリンダーから異音が・・・
なんだこの音は・・・鈴虫でも住んでるのか・・・
どうやら事件はシリンダー内部で起こっているようです。
そこで数日間、ネットでこれは一体何の故障なのかを調べました。
結果、マフラーから出る白煙、シリンダー内部からの異音、これらの症状から察するにオイル上がりが起こっているのではないかという結論に達しました。
オイル上がりというのはピストンリングの摩耗などが原因でシリンダー内壁とピストンの間に隙間が生じ、クランクケース内部のエンジンオイルが燃焼室に入り込んでしまう現象のことを言います。オイルがガソリンと一緒に燃えるので、マフラーから白煙が出たり、エンジンオイルの消費が異常に速かったりという症状が出るのです。
対処法としては、オイルの粘度を上げる、ピストンリングを交換するなどがあります。
症状が軽い場合はオイルの交換だけで改善できることもあるそうです。
また、症状の似た故障としてオイル下がりというものがあります。これはオイル上がりの逆で、シリンダーヘッドからオイルが燃焼室に下がってくる現象です。吸排気バルブのステムシールの劣化が原因で引き起こされます。オイル上がりと非常に症状が似ているのでどちらか判別するのは難しそうです。
今回はシリンダーから異音がしているのでおそらくピストンリングがおかしいのだと思います。ということでオイル下がりではなくオイル上がりであると結論付けました。
原因が何かはわかりました。ここまで頑張ってきたので廃車にはしたくないです。
なんとしてもこれを修理しようと思います。
(正直エンジンの交換も考えましたが、ボロボロの中古品でも3万円くらいするので辞めました。)
まず初めにオイルの粘度を上げてみました。10w-30という粘度のオイルが入っていたので10w-40に交換しました。
結果:まったく効果なし・・・。
どうやらこんな簡単に治るようなものではなく、かなりの重症らしいです。
オイル交換では何ともならなかったので、あまりやりたくはないのですがエンジンを開けてピストンリングを交換することにします。
エンジンを開けるのは初めてなので前もって色々と情報を集めてみましたが、タウンメイトのエンジンについての情報はネット上に皆無でした。仕方がないので今回は似たようなエンジンを搭載しているスーパーカブを参考に分解していきます。
では、早速やります。
まず、シリンダヘッドのカバーを外し、ピストンの位置を圧縮上死点に合わせます。
シリンダヘッドとカムスプロケットにそれぞれ印がついているのでそこを合わせます。
後で知りましたが、別にここで合わせなくても組み立ての時に合わせれば問題ないようです。
次に、シリンダヘッドの固定を外します。
エンジン先端部分の4本と、
それからここと、
ここにあります。
シリンダヘッドの固定が外れたら、カムスプロケットを取りはずします。
チェーンをエンジン内に落としてしまわないように注意。
それからヘッドを外します。
取れました。思っていたよりも重たいです。
まぁ、ここまではほとんどスーパーカブと勝手が同じですね。
シリンダーも取りました。
シリンダー内壁はおおむね綺麗でしたが、錆が出ている所もありました。
これがピストンです。軽くこすったような跡がありますが、こんなものなのでしょうか?
クリップとピンを取り、ピストンを外します。
微妙に焼けたような跡もありますが・・・新しいピストンを買う余裕はないので当然のごとく再利用です。
ヤマハとホンダ、メーカーは違えど、どちらも単気筒横型4ストロークエンジンです。
非常に構造が似ています。
ホンダのエンジンとの相違点を挙げるなら、これ。
カムチェーンテンショナーの構造が違いました。
カブのエンジンは「カムチェーンガイドローラー」という樹脂製のローラーが入っていますが、メイトは画像のような樹脂製の棒が入っています。
どうやらこれが撓んでカムチェーンを押さえつけることで、チェーンを張らせる仕組みのようです。そのためカムチェーンテンショナーの調整機構は、カブはエンジン下部のドレンボルトの隣に、メイトはシリンダーヘッドに付いています。
分解も一通り終わり、エンジンの構造が大体わかったのでいよいよピストンリングを交換し、エンジンを再び組付けます。
なんと今回はホンダ製のスーパーカブ50用のピストンリングを買いました。
「なんだお前、買い物失敗してるじゃねぇか」と思うかもしれませんが、まぁ一応考えはあります。
以前、タウンメイトのピストンをスーパーカブのエンジンに装着している人のブログを拝見しました。なんでも、この二つのエンジンのピストンは寸法からピンの規格に至るまで何から何まで全く同じらしいのです。
メイトのピストンがカブに付くということは、つまりカブのピストンもメイトに付くということです。ここまで同じなのならひょっとしてピストンリングも全く同じなのではないか?そう思って今回はカブ用のピストンリングを買いました。
(実のところはネットで購入できる部品がこれしかなかった、という消極的な理由なのですが・・・)
実際はどうなのか、比べてみました。
左がメイトのピストンリング、右がカブのリングです。ぱっと見た感じでは同じに見えます。
重ねてみました。完全に重なっています。どうやら大きさは同じようです。
厚さも同じっぽいです。
よしいける。これは。
では、先ほどとは逆の手順で組み立てていきます。
ピストンやシリンダーが汚かったので汚れを落とし、ピカールで傷を削りました。
ピカールなんかで磨いてよかったのかは知りませんが・・・
ピストンリングを溝にはめていきます。オイルを塗るのを忘れずに。
リングにはこのように印が付いています。印のあるほうが上です。
リングにはトップリング、セカンドリング、オイルリングなどと種類がありますので間違えないように注意します。
リングの装着が終わったら、ピストンを組付けていきます。
まずは、ケースにこびりついた古いガスケットを剥がします。これが一番大変。
幸いにも、純正部品の在庫がまだありました。
ピストンを装着します。ピストンリング以外の部品は再利用しました。
ここにはゴムっぽいガスケットを使います。
次にシリンダーを取り付けます。この時点でピストンを動かしてみましたが、なかなかスムーズで良い感じ。これは期待できそうです。
また、ここでピストンを上死点に合わせておきます。
そしてシリンダーヘッドを取り付けカムスプロケットを装着します。
ピストンが上死点にある状態でカムスプロケットの印がぴったりと合うようにします。
こちら側はメタルガスケットです。
カムチェーンテンショナーの取り付けが少々面倒です。まぁ、でも実際見たら構造が分かるので問題ないかと思います。
最後に各所のボルト、ナットを閉めたらオーバーホールは終わりです。
なんとか作業は終了しました。途中怪しい部分もありましたが、初めてやったにしては出来たほうかなと思います。
では、エンジンをかけてみます。
さあ、果たして無事に動くのか・・・白煙は直ったのか・・・
やりました!
これはどうやら直ったみたいです。白煙が出なくなりました。音もまったく違います。
明らかに健康そうな音です。アイドリングも非常に安定しています。
いやー、良かった。
今回はここまでです。
今回は、オイル上がりを修理するべく初の腰上オーバーホールに挑戦しました。
なんとか直すことができてよかったです。一時は中止になりそうだったレストアですが、着実に障壁を乗り越え、成功へと向かっているように思います。
次回は車体の仕上げをしてナンバー取得、そしていよいよ公道に復帰します。
~続く~
「2台目」甦れ!!タウンメイト!!! ~塗装と組付け編~
こんにちは。
前回は、現在レストア中のタウンメイトの2つの問題点であった、排気口の折れたボルトと車体の凹みの修理を行いました。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
問題も無事解決し、レストアの準備ができたので、今回は塗装と部品の組付けを行います。
↓以前やったリペイントの記事。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
今回の目標としてはエンジンの始動です。
それから可能ならば軽く試走もしたい。
作業開始時点での車体の様子はこんな感じ。
塗装のために車体を水で洗い、汚れを落としました。
では、早速作業開始。
最初に塗装をします。
まずは今塗ってある塗装を剥がします。
塗料はがしを使います。
車体に塗ると、すぐに写真のように塗料がブヨブヨになって剥がれます。
一通り剥がしました。
いくらやってもこれ以上剥がれなかったので中途半端ですがこれで行きます。
適当にマスキングをして、
下地を塗ります。今回も以前使った安いスプレーです。
↓お金があるならこういうのが良い。
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塗れました。
今回は垂れないように塗ることができました。
しばらく置いて乾燥させた後、何度か上塗りします。
同時進行で外装パーツ等も塗りました。今回は多くの部品を外したので塗りやすいです。
一晩置いて、十分に乾燥させたら、いよいよ塗装です。
今回選んだ塗料はこれ。
以前レストアしたメイトはドイツのTiger戦車っぽく仕上げたいと思い、タミヤのダークイエローを塗りました。。
一方、今回はドイツ軍の市街地迷彩であるジャーマングレーをイメージしています。安く塗りたいのでタミヤカラーは使わず、今回はホームセンターの安いペンキからそれっぽい色を選びました。
選ぶにあたって、事前に画像検索でジャーマングレーとはどのような色かを調べていましたが、メーカーによって色が全く違います・・・
ただの灰色のような色から、黒に近い濃い灰色、青みがかったグレーなどたくさん種類がありました。解釈の違い?なのでしょうか。ジャーマングレーはこの色!という決まった解釈はないようです。
今回は市販の車体に無いような色にしたかったのでジャーマングレーとされる色のうち青っぽい色を選択しています。
では、塗ります。
前回はスプレーで塗装しましたが今回は粗い塗装の方が味があっていいと思い、はけで塗ることにしました。
車体を一通り塗り終えました。こんな感じです。
思った通りの色で、なかなか良いと思います。
一度全体を塗り、乾燥させてそれから何度かまた塗りなおします。
他のパーツも塗っていきます。
今回も軍用バイクっぽく仕上げるつもりですが、所々のパーツに純正の色を残します。タイヤのリムやマフラーまで塗ってしまうと本当に軍用バイクみたいになり、公道で浮くからです。
さりげなく、純正にありそうで実は無い色で、わかる人に伝わればそれで満足です。
車体の塗装が終わったのでマスキングを剥ぎ、部品を組み付けていきます。
まずはハンドル周り。
エンジンを載せます。
バイクらしくなってきました。
次はタイヤです。
今履いているのは10年以上前のタイヤなので、新品に交換します。
まずは、古いタイヤを外します。
次に、リムの内側の錆を削ります。
ここがさびているとチューブに穴が開き、パンクしてしまいます。
そして、タイヤを組み付けます.
タウンメイト50のタイヤサイズは「2.25 17」です。
↓フロント
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↓リア
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↓チューブ
DUNLOP(ダンロップ)バイクタイヤチューブ 2.25:2.50*70/100-17 バルブ形状:TR4 リム径:17インチ 134047 二輪 オートバイ用
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↓リムバンド
出来ました。
車体に組み付けます。
こんな感じ。
サビサビのマフラーも
磨いてピカピカに
キャブの清掃もします。
クリーナーキャブを使いました。
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こんな感じでつけ置きしました。
スプレー缶1本をすべて使用して、大体30分くらいつけておきました。
今回は、とりあえずエンジンを掛けたいので必要最低限の部品だけ取り付けます。
先ほどのキャブとマフラー、それから燃料タンクを取り付けて、
出来ました。
さっそくエンジンをかけてみます。
かかりました。
でもまだ調子が悪いです。すぐにエンストしてしまい、アイドリングさえできません。試走はあきらめました。
とりあえず、今回はここまで。
次回からは車体の仕上げと燃調のセッティングをやっていきます。
~つづく~
「2台目」甦れ!!タウンメイト!!! ~車体の凹みと折れたマフラーのボルトを治す~
こんにちは。
最近すっかり春らしくなり、花粉症で目鼻が痒くて仕方のない季節になりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、昨年夏は、タウンメイトT50というバイクのレストアに挑戦しました。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
なんとかレストアには成功し今は普段の足として使っています。
実はこの時、もう1台タウンメイトを購入しているですが、様々なトラブルが発生し作業が難航したため途中でレストアベースを変更したのです。
余った車体はしばらく庭に放置していました。
↓主な原因。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
↓レストアを放棄した記事。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
冒頭で「すっかり春らしく」などと書きましたが・・・そう、春といえば、出会いの春、別れの春、レストアの春、などと言います。
なので、これをいい機会に今回はもう一台のタウンメイト、この難関と向き合い、なんとか決着をつけようと思います!
目指せ公道復帰!!!
・現状
まずは今、車体がどうなっているか説明します。
画像中の手前の車両です。
一見すればもはやただのゴミです。途中まで塗りかけている感じがなんとも哀愁を感じさせます。
無惨。まさにそんな感じ。
画像ではハンドル周りを一式ごそっと取ってあります。
今回レストアするにあたってこの車両が抱えている大きな問題は主に2つ・・・
①車体が一部、ベッコベコにへこんでいる。
リアショックのボルトの少し後ろのあたりがベコベコに凹んでいます。
野外放置していたので、何かの拍子にすごい勢いで倒れ、何かにクリーンヒットしたようです・・・
位置が悪く、ハンマーで叩けません。これには困った。
②マフラーを固定するボルトが片方、根元から折れている。
これはまぁ、私もつらいので特には何も言いません・・・
今回はこの2つの問題の解決が目標です。
まずは①の凹みの修復です。
とりあえずエンジンを降ろしました。
ジャッキで支えながらエンジンを固定している2本のボルトを外して降ろします。
ここは、一般的なバイクではフロントスプロケットがついている場所です。
タウンメイトはシャフト駆動なので他にはない構造をしています。
持った感じでは10kgくらいありそうです。
エンジンが降り、身軽になったので・・・
車体を寝かせて叩く!!(持ってるのは線路)
硬い。
全く直りませんでした。
叩いて直すというのはどうやら無理があったようです。
そこで....
パテで全部埋めることにしました。
凹みを直さなくてもタイヤに干渉しないので問題はないです。
↓大きな凹みにはこのような軽量のパテを使用します。
パテを盛り付ける周辺の塗装をはがして下地を出した後、車体にドリルで穴を開けます。
こんな感じ。
次に、鉄プレートとボルトを・・・
先ほどの穴に取り付けます。
これは、パテが崩れにくくすることと、強度を出すことが目的です。
出っ張った部分は削って落とします。
パテを塗ります。
小学校の頃に作った粘土細工みたい。
乾いたら表面をいい感じに削ります。
完成。
まぁ、違和感はないですね。
これで、車体の凹みの修復は完了です。
次に、②のマフラーを固定する排気口のボルトを直します。
まずは、ボルトが元あった場所を削りました。
ここには本来ネジが切ってあり、そこにスタッドボルトが固定してありました。
どれほどの厚さがあるかわからないので間違えて削り過ぎて、ぶち抜かないように注意します。
ある程度穴が掘れたらボルトの固定作業に入ります。
市販の六角ボルトの頭を落として、それを使用しました。
ここからが問題です。開けた穴にボルトをどうやって固定するか、これが難しいのです。
強度的にはそこまで必要なくマフラーが固定出来さえすればいいのですが、今回は2つの方法を考えています。
第一の案は「アルミロウ付け」です。
元々、溶接でくっ付けたいと思っていましたが、シリンダーヘッドはアルミ製。
聞くところによるとアルミの溶接はめちゃくちゃ難易度が高いということでした。
家で素人がやるのは絶対無理です。
アルミの接着の方法について色々調べてみると、こんな物を発見。
↓これ。
(STRAIGHT/ストレート) ロウ付け棒 アルミ専用 225g 17-460
- 出版社/メーカー: (TOOL COMPANY STRAIGHT) ツールカンパニーストレート
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これは強度が高く、おまけにアルミのロウ付けに必要な専用の溶接機やフラックスとかいう薬品も必要ないので簡単だということです。一般的なガスバーナとこれがあればアルミのロウ付けが可能とのことでした。
紹介動画を見ましたが、かなり強力そう。融点も380℃と他の商品に比べて幾らか高く、これなら排気口の部分にも使用できるかも。
まぁ当然、こういう危なすぎる図になります。
当然の火災に備えて、申し訳程度の消化器を用意。
恐る恐るシリンダーヘッドを炙っていきます。
しかし、いっこうに棒は溶けず・・・母材も熱くならない・・・
そもそもバーナーがボロい・・・
失敗。
火力が全然足りませんでした。バーナーを直接あてると溶けることには溶けますが、全く接着する様子がありません。かといってこれ以上火力を上げれば、エンジンが壊れそうで・・・
アルミのロウ付けは難易度が高いうえに、この場所には不向きすぎました。
別の方法を考えます。
第二の案。「ネジ穴を作る。」
先ほどドリルで穴を開けた穴にネジ溝を作ります。これは失敗したら取り返しがつかないのでやりたくありませんでしたが、他に手段がないのでやります。
このような道具を使います。
TRUSCO(トラスコ) ハンドタップ(並目) M8X1.25 先 (SKS) T-HT8X1.25-1
- 出版社/メーカー: トラスコ中山(TRUSCO)
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TRUSCO(トラスコ) T型ラチェットタップホルダーM3-M10 TTR-10
- 出版社/メーカー: トラスコ中山(TRUSCO)
- メディア: Tools & Hardware
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元のボルトよりも太めのものを使いました。M8という大きさのピッチが1.25のネジです。
こんな感じでゆっくりとねじ込んでいきネジ溝を刻みます。
いけた!!!!
やったー。できました。
大体、5回転くらい入ります。少し締め込むとかなり強力に固定できています。
これならマフラーも固定できそうです!!!
結構あっさりできましたね。バーナーでエンジンを炙っていたころが懐かしい・・・
今回はここまで。
まぁこんな感じで、今回はレストア最大の障壁であった2つの大きな問題を解決することができました。今回は友達と一緒にやっていますが、やはり複数人でやると楽ですね。
3週間以内の完成を目標にこれからレストアを進めていきます。
~つづく~
タウンメイトのヘッドライトをLED化!!!
こんにちは。
前回の記事ではタウンメイトのテールランプをLEDに交換しました。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
↓レストア日記も。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
テールランプがアイドリング状態でも幾らか明るくなったので、夜道でも追突の心配なく乗れています。
ただ・・・
ヘッドライトが暗すぎる!!
そうです、ヘッドライトがめちゃくちゃ暗いのです。どれくらい暗いかというと、路面標識が見えないことがあるくらい。
ということで、今回はヘッドライトのLED化に挑戦します。
今回買ったLEDはこれ。
1400円くらいで買いました。ハロゲン球と同じくらいの値段です。
タウンメイト等の原付バイクの多くはヘッドライトに交流電流が使用されているため、交流に対応したものが必要です。
こんな感じ。
金属製で予想以上にしっかりした作りでした。交流を直流に変換する装置が付いていますね。これが結構邪魔になる・・・
電球と比べるとライトの内部に入る部分の大きさはほとんど同じですが、発光部の位置が異なります。
amazonの商品レビューで「光軸が合わない」という意見が結構ありましたが、これがその原因なのではないかと思います。
冷却のためのファンがついているので結構後ろへ大きくなります。
ちなみにこれのせいでCD50には入りそうにありません・・・
スーパーカブはこれよりヘッドライト内部が狭いのでなお難しいかと思います。
一方、タウンメイトは幾らかスペースに余裕があります。
↓これは後ろの長さが若干短い。多分。
RAYD(レイド) LEDヘッドライト 原付 交流取付可能 Hi/Lo 15W/8W 切替機能有 PH7/PH8/H4
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↓こういうのは使えるんですかね・・・?
5580 PH7 T19L Hi/Lo 12w 無極性設計 交流/直流 兼用 12~80V 1600lm 汎用 LED ヘッドライト バルブ
- 出版社/メーカー: PHOENIX(フェニックス バイクパーツ)
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それでは取り付け作業へ。
今回は純正部品を加工することにしました。
ヘッドライトソケットコードです。適当な長さで配線を切りました。
これは6Vのタウンメイトのものなので、ポジションランプの配線もついています。
↓ちなみに12V化してあります。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
配線の内訳ですが、
黒がアース、青がポジションランプのプラス、黄色と緑がハイビームとロービームの配線です。
また、純正部品をとっておきたい方は市販の4極カプラーを使うとよいでしょう。
そしてこちらがLED側の配線。
緑がアース、白がロービーム、青がハイビームです。
こんな感じでキボシを付けて、先ほどのカプラー側の配線と接続します。
~中略~(接続して収納。)
はい、完成。
明るいですね。
ヘッドライト内部には余裕があるかと思っていましたが、冷却ファンが干渉したので、何とか押し込む形となりました。
日が暮れてから明るさを見てみました。
アイドリング時。
アイドリング状態では発電量が少ないので暗いです。謝罪会見のフラッシュみたいにチカチカと点滅しています。
ロービーム。
以前のハイビームとロービームの中間くらいの位置です。ファンが干渉しているせいで光軸の調整ができず、一番上を向いた状態になっています。
しかし、これ以上下げると光軸合わなくなるのでこれがくらいがちょうどいい感じでした。(車種によって異なります。)
ハイビーム。
amazonのレビュー通りかなり上を向いた状態になっています。(上すぎて写真に写ってない)
元々ロービームの状態でもそこそこ遠くまで明るくなるのでハイビームの出番はあまりなさそうです。明るさは、ハロゲンと比べても格段に明るいです。
いかがでしたでしょうか。
なかなか手が出なかったヘッドライトのLED化ですが、無事にできてよかったです。
これで、夜間の運転も安心です。あとは耐久性ですね。
仮に壊れたとしても1300円程度で買えるのでそこまで痛くはないですが・・・
また数か月後に使用レビューを書こうと思います。
皆さんも是非!!
おわり
ベンリィ50sのハンドル交換。[CD50]
こんにちは。
今回は、ベンリィのハンドルを交換しました。
何故交換しようかと思ったかというと、
「どこでもいいのでカスタムしたかった。」からです。今より少しハンドルの位置を下げ、長さも少し短くしたいと思います。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
色々ハンドルの種類はありますが、「安く、楽に」という基準で、今回はストレートハンドルを選びました。
買ったのはこれ。
ハリケーン(HURRICANE) ハンドルバー フラット 1型 (P7/8インチ) クロームメッキ HB0007C-01
- 出版社/メーカー: ハリケーン
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どのくらいの長さの物を買えば良いか分からなかったので一般的なサイズ、655mmを買いました。
純正は600~650mmくらいなので調度いいかな?
注文から2日で到着。
あれ...想像より長い気がする....
早速合わせてみました。
これは....絶対長すぎる....
まぁでも、後で切ればいいんです。
元のハンドルに着いてたグリップは再利用するので外します。
接着剤でくっついているらしく、そのままでは取れないですが、熱湯で温めると楽にきれいに取ることができました。
スイッチ類を装着するとこうなります。
やっぱり長すぎる。
写真で見た感じはそこまで違和感が無いですが、スロットルケーブルの長さが足りず、ハンドルを右に切ると勝手に加速してしまいます。これは危ない。
切りましょう。
こういう時にパイプカッターがあればきれいに切ることができ、非常に便利です。
SK11 ステンレス用パイプカッター 切断能力 6~38mm PC-38S
- 出版社/メーカー: SK11(エスケー11)
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思いきって左右それぞれ25mm、合計で50mm切断します。
印をつけて、そこにパイプカッターをセットし、ひたすらグリグリ回していきます。
しかし、30分やってもいっこうに切れず...
ケチって小さいのを買ったのがダメでしたね。しかも、ハンドルがすげぇ硬い。
結局ノコギリで切りました....
5cm切った結果。
幾らかマシになりました。
でもまだちょっと長いかな?
後日、さらに4cm切りました。
このくらいが限界でしょうか。
乗ってみた感じ、窮屈さはなく乗りやすかったです。
ハンドルが短くなった分車体の振動の仕方が変わったのか、多少乗り味も変わったような気がします。
しかし、ケーブルの長さが余りまくってしまいました。運転に支障が出るほどではないですが近いうちに長さの調整をしないといけませんね。
今回、長すぎてかなり切らなくてはいけなくなってしまったので、もしこの車体に合うフラットハンドルを買うなら長さ550mm~600mmくらいのものがいいと思います。
ハリケーン(HURRICANE) ハンドルバー ミニフラット 1型 (P7/8インチ) クロームメッキ HB0006C-01
- 出版社/メーカー: ハリケーン
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キタコ(KITACO) 一文字ハンドル 汎用(φ22.2) 619-0700201
- 出版社/メーカー: キタコ(KITACO)
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↑この辺りがおすすめです。
~おしまい~
④湖底に消えた二式大艇。 総集編 ~海没処分の全容~
・はじめに
終戦後の昭和20年8月22日、島根県の中海にて海没処分されたといわれる日本海軍の飛行艇「二式大艇」について調査を行い、当時行われた処分の様子やその後の真相を追った。
・二式大艇とは。
二式大艇は大日本帝国海軍所属の飛行艇である。レシプロエンジン搭載の飛行艇としては当時世界最高の性能を誇る傑作機とされる。
本稿では機体の詳細なスペックや戦歴等は省略するが、大まかな機体の大きさは把握しておいてもらいたい。
全幅 | 38.00m |
全長 | 28.13m |
全高 | 9.15m |
↓詳しくはwikiでも・・・
全タイプ合わせて合計で168機が製造された二式大艇だが、今現在現存しているのは鹿児島県の鹿屋航空基地資料館に野外展示されている一機のみである。
↓これ。
これは後述の終戦後詫間に向かった作戦機3機のうちの1機である。
米軍に引き渡された後、1979年に日本に帰ってきた。
・海没処分の概要
この海没処分の話は飛行艇隊を率いた日辻常雄少佐(当時)が戦後に執筆した手記「最後の飛行艇」に登場する。
ここからは手記を一部抜粋しながら、この中海にやってきた二式大艇が処分されるまでの行動履歴を追っていきたいと思う。
前述の通り、二式大艇は合計で168機が生産された。しかし終戦後、連合国軍から機体の引き渡しが通達された段階で作戦行動(飛行)が可能であった機体は石川県の七尾基地に残っていた3機のみであったという。
昭和20年8月21日、その3機に詫間基地(香川県)への集結指示が下り同日、3機は詫間へ向かう。
3機のうち2機は無事に詫間へとたどり着くことができたが、後始末で出発の遅れた1機(森中尉)は天候悪化と燃料の欠乏、エンジン不調のため中国山地が越えられず、やむなく当時飛行艇基地があった島根県の宍道湖に着水を試みた。
しかし、戦後の混乱状態と視界不良からか、宍道湖だと思って間違えて中海に着水してしまったのである。
※手記の著者である日辻少佐の機は無事に詫間へ到着しており、中海に着水した機の現場の様子についての記述等は筆者の実体験ではなく、この機の機長である森中尉からの伝聞を元にしている。
中海に着水後から処分命令前までの様子は以下の通り。
「中ノ海ならば美保基地がある。801空の戦闘機隊もいるはずである。ここで燃料補給をしようとして陸図をたよりに水上滑走を続けたが、この辺一帯は遠浅で座礁してしまった。悪天候の夏の日は暮れるのも早い。夕闇迫るころ、やっと離礁し、機長は漁船を見つけて一人陸へあがり、美保基地へたどりついたが、終戦後の美保基地は荒涼たる風情で人影もまばら、補給機能も資材も分散しているため、燃料補給など支援できるすべもなく、湖上にポツンと浮かぶ大艇にもどって、その日はクルー一同、非常食を食べて艇内で一夜を明かしたのである。電信員が懸命に詫間との無線連絡を保ち、22日救援機派遣の情報をとらえ、一縷の望みをかけ、極力接岸に努め、安来市西方の湖上に投錨して夜明けを待った。頼みの無線も途絶えたまま、やむなく安来の郵便局に事情を説明して、詫間本部との連絡に努めた。」
この機は着水後、補給のためにまず美保基地へ向かった。
これが現在の美保基地周辺の様子。
戦後に護岸工事や埋め立て工事が行われ、現在は地形が大きく変わっている。
現在埋め立てられている場所の元の水深は1m程度であり、非常に浅い。当時は近くに小さな舟溜りや漁港があった。
引用文中に基地との連絡のため周辺の漁船を利用したという記述があるが、今回その漁船を所有していた家の方に当時の話を聞くことができた。
・証言者:Eさん(当時10歳)
終戦当時、私は小学4年生でした。
当時、我が家は漁業を営んでおり、美保基地そばのマノメ(船だまり)に家がありました。
二式大艇は直接は見ておりません。父から後で聞きました。
飛行艇は岸のかなり近くまで来ていたのではないでしょうか。
人が翼のうえに大勢乗っていたそうです。
合図があったのかはわかりませんが、うちの父と隣のKさんの2人でうちのポンポン船を出して、岸と飛行艇を何往復かして隊員達を運び、陸にあげました。
その時、白い毛布や蚊帳を飛行艇から運び出し、たくさんもらって二軒で分けました。当時毛布は貴重品で、とても立派なものでした。他に運んでくるものが無かったのか、毛布や蚊帳は本当にたくさん積んでありました。
隊員達はまたすぐに飛行艇へ帰っていったと思います。
隊長が一人、後始末のためか最後まで陸に残っていました。
その隊長を家に招いて麦飯とみそ汁をご馳走しました。
夕方ごろ、学校から帰ると家に隊長が来ておられたのを覚えています。
「うまい、うまい」と言って食べておられました。
聞いた話によれば、その後飛行艇は沖のほう(安来市方面)へ持っていって焼いたそうです。
それから先はわかりませんが、数年後サルページが引き上げに来たと聞いています。
その後、美保基地での補給が見込めなかったため、隊員たちは機内に戻り「安来市西方の湖上」にて一夜を過ごす。「接岸に努め」とのことなので岸からはそこまで離れていなかっただろう。
そして「安来の郵便局」に立ち寄ったとされるが、詫間へ電報を送るためだったのではないだろうか。郵便局については昭和15年以前から現在に至るまで特に場所の変更は見られないので、手記中の郵便局とは現在の安来郵便局のことである可能性が高い。
また、引用文中に「陸図を頼りに~座礁してしまった。」という一文がある。この記述から察するにこの機のクルーたちは中海の航海図を持っておらず、湖の正確な水深を把握できていなかったのではないだろうか。水深が分からないのであれば座礁もするだろう。これは後に若干かかってくるので覚えておいてもらいたい。
そして翌日の8月22日、この機は再び飛ばす手段が尽きたと判断され、詫間基地にいた日辻少佐から森中尉へ次のような命令が下った。
「その機を飛ばせる手段は尽きた。大艇の機銃をおろし、搭載兵器は破壊し、機体は銃撃により処分したうえ陸行で帰隊せよ」
この処分命令を受けてからの状況を森中尉は後に次のように語ったという。
「自責の念にかられ哀惜の情に耐えかねつつ、大艇の処分にかかった。付近は市街地を遠く離れ、沿岸の水田はすでに稲穂が黄ばんでおり、一見のどかな風情を呈していた。
まず機銃をおろし、無線機類を破壊した。一同海岸に整列して、ともに戦ってくれた愛機に対し最後の挙手の礼を送って訣別した。滂沱たる涙で顔はくしゃくしゃになった。以心伝心的に事情を知った付近の住民は、搭乗員の後方に集まって涙ながらに合掌していた。
機銃を岸に据え、まさに銃撃を開始しようとしたとき、今まで岸に平行に横腹を見せていた大艇は、風もないのにその向きを変えはじめたのである。(~中略~)
胸にこみあげる熱いものをぐっと抑えながら、漁船を借りて射手を乗せ、大艇の正横に位置させた。「許せよっ」と合掌しながら発射を命じた。
中ノ海に響きわたる銃声はあまりにも悲しかった。ほとんど撃ち尽くしたが、なかなか燃えなかった。
射手は悲壮だった。弾倉を交換しながら涙の射撃を続けなければならなかった。ついにタンクから火を噴いた。やがて胴体が爆発を起こし、紅蓮の炎に包まれながら静かに沈みはじめた。あの特徴のある高い尾翼をしばらくの間湖面に浮かべていたが、やがて聖者の最期を思わせるように水面から姿を没していった。」
その後、この機のクルー達は地元の人々に暖かく迎えられ付近の民家で一泊したのち翌23日早朝、住民によって漁船で米子まで送られ、そのまま詫間まで陸路で帰還した。
以上でこの海没処分についての手記の記述は全てである。これ以上の情報は手記には載っておらずまた、山陰の歴史文献等にもこれ以上の情報はおろか海没処分の事実さえ記載したものは一切存在しない。
手記の記述によると当時、機体処分の様子は多数の地元住民が目撃していたということである。ならば、誰かこの二式大艇を知る人が今でもいるのではないかということで調査を行った。
そして今回、幸運にもこの事を知る方から証言を得ることができた。
本件は先ほど紹介した手記の他には一切の資料が残っていないため今現在、これらの証言が処分が行われた場所や、処分後の機体の様子を伝える唯一のものである。
・証言者:Aさん(当時6歳)
「私は安来の福井という所に住んでおりました。当時六歳でしたが、飛行艇のことは覚えています。遠くからでも高く黒煙が上がるのを見て湖岸に行きますと、大勢の人が集まっており、大きな飛行艇が燃えておりました。岸から五十~百メートルほどありました。半ば沈んでいる状態でしたが、よく燃えておりました。処分に使った機関銃は見ていません。大人たちが近くに行かせてくれませんでした。それでも顔が熱く、髪が燃えるような気がしました。近所の人が船で濡れた兵隊さんを助けていました。その方は、「黄色い汗が出とった。」と言っておりましたが、きっと油か何かをかぶられたのでしょう。しばらくは、飛行艇の部材でしょうか、生ゴムとスポンジのようなものがたくさん岸に上がりました。飛行艇は干潮の時には垂直尾翼を水面から出しておりました。
同じ部落の人で、飯梨川の砂を木造船で松江に運ぶ仕事をしておられる方がおられましたが、この尾翼に当たって船底に穴が開き、急いで引き返したという騒ぎもありました。二十五歳までこの地で農業をしておりましたが、引き揚げられたという話は聞いておりません。」
akiyuki2119067018.hatenablog.com
この方の証言によって海没処分が行われた大まかな場所が判明した。
安来市西方、吉田川の河口付近である。
・証言者:Bさん(当時5歳)
次の証言者はAさんの証言にもあった二式大艇に衝突したという船を所有していた家の方である。
「飛行艇の件は知っておりますが、海没処分した時は幼くて記憶にありません。しかし、その後のことは多少覚えております。我が家は昭和の初め頃から、昭和50年頃まで生コン用の川砂を採取し、運搬、販売する仕事をしておりました。父は中国へ出征しており、戦後まもなく復員して参りました。その後家業の川砂の仕事を再開しましたが、父は二式飛行艇の事を知らず、川砂運搬中に船を機体の一部に当ててしまいました。船の肋骨が2本折れ、3本目で止まりました。砂を積んでいたため浸水が激しく、農業用の川舟2艘に挟まれて何とか船着き場に戻りました。船は修理しましたが、再びこういうことがないように、二式大艇が沈んでいる部分に櫓をたてました。岸から20~30mだったと思います。
しばらくして、二式飛行艇のフロートが打ち上げられ、岸辺に長い間放置されておりましたが、いつの間にか無くなりました。二式大艇の亜鉛葺きの錨は、引き上げて我が家の船で使っておりました。これは、昭和50年頃廃業した際に、知人に譲渡してしまったため現在の所在は分かりません。その方の船も古くなり沈めてしまったそうです。櫓は朽ち果てたのか、今はありません。」
akiyuki2119067018.hatenablog.com
二式大艇にぶつかったのは戦後1~2年後であったとのこと。この方はその後お父さんの後を継ぎ、同じ船を使って昭和50年頃まで砂の運搬の仕事をしていた。
その船がこちら。
いわゆる「ポンポン船」と呼ばれる発動機付きの木造船である。
・証言者:Cさん(当時16歳)
「私は当時安来農高3年生、16歳。この出来事があったのは昭和20年8月22日でした。その日は学校が休みだったので家にいました。ふと中海を見ると、飛行艇がこちらへ向かって来ていました。台風で堤防が壊れて、家から見えたのです。4発の大きな飛行艇でした。翼の上に20人くらいの兵隊さんが立っていて「おーい」と声が聞こえました。驚いて海岸に行くと、「荷物を運びたいから船を出してくれ。」と言われました。大勢の人が集まり、近所に住んでるおじいさんがポンポン船を出しました。私もその船に乗って、飛行艇の中に入り、兵隊さんの荷物を下ろしたり、運んだりする手伝いをしました。荷物はおじいさんの家に預かってもらいました。飛行艇は堤防にある防風松にロープで係留し、錨も下ろしておりました。
荷物が揚がると、兵隊さんが松の木のあたりから機関銃で二式大艇を「ダダダーン、ダダダーン」と撃ち始めました。しばらくすると燃料に火が付き大きく燃え上がりました。係留していたロープや、錨のロープも燃えて切れました。機体は燃えながらこちらへ近づいて来たと思うと、河口で転覆して沈みました。浅かったので尾翼をはじめフロートなど、3分の1は水面上に出ておりました。機長さんが私に「尾翼の菊の御紋章を残しているのはまずいので、頼む、消しておいてくれ。」とおっしゃいました。
2,3日後、我が家の船を出して、鉞で尾翼を叩き壊して分からないようにしました。
終戦後なので色んな人が来ました。フロートは私と前の家の人が外して持って帰りました。錨も集落の人が引き揚げました。後にフロートはボートにするからと安来の人が持って帰りました。錨も安来の人が持って帰りました。
その後もしばらくは胴体と翼が水面上に出ていましたが、9月の初め頃に台風が来て全部見えなくなりました。ただ、その場所に行くと1mほど下に沈んでいるのが水面上から見えました。
ある日、プロペラの先が水面上に出ていて、Bさんの家の土砂運搬船が引っかかりました。戦争に行っておられたので二式大艇のことを知らなかったのです。私はその場を見ておりました。「おーい、頼むわ」と声をかけられたので、我が家の農耕船を出して、他の家の船と両側から挟んで、沈まないようにロープで縛りました。そして、安来港の造船所へ向かいました。
それから、昭和25年7月の25日の朝鮮動乱。内需拡大で鉄屑回収が盛んに行われました。25年の10月頃のある日、サルベージ船が来て全部引っかけて機体を持って帰りました。残骸も残っていません。このあたりではなく、他所から来た業者でした。
また、あのとき船を出した隣のご夫婦の息子さんはフィリピンで戦死されています。この小さな集落で3人も戦死しました。二式大艇が沈んだときは、何ともいえない気持ちでした。」
akiyuki2119067018.hatenablog.com
当時16歳であり、また処分場所に最も家が近かったということでこの方が最も事情に詳しい。機体の詳細な状況や、当時の住民のやり取りなども窺い知れる。
他の2人は引き揚げなどの話は知らないとのことであったが、この方は機体の引き上げを目撃している。この目撃証言によって機体の大部分が回収され、残っていないという可能性が高くなった。
また、処分後に水面から出ていた機体の一部について、Aさんは尾翼であったと証言しているが、Cさん曰くプロペラであったとのこと。
以上が、今回得られた証言である。
では次にこれらの情報と手記の記述、実際の地図などから処分の様子から引き揚げまでの様子を見てみよう。
昭和20年8月22日、島根県東赤江町において二式大艇の銃撃処分が行われた。
安来市街からは車で10分程度の距離にあるが、家もまばらで市街地中心からは遠く離れているような印象を受ける。非常にのんびりとした雰囲気の、のどかな村である。
手記の記載通り、海岸沿いには現在でも水田がみられる。
証言によると、具体的な処分場所は海図の赤丸の部分。付近の水深は浅く、5m程度しかない。全高が9.15mもある二式大艇を沈めるためには水深が浅すぎる。
なぜこの場所を選んだのかという話だが、手記の中でも述べられている通り隊員達は陸図を頼りに中海を移動していたため、正確な現場の水深を知らなかったことが原因なのではないか。
そしてこの場所から銃撃を行ったとされる。下の写真は昭和50年代の航空写真。
Cさんの証言中に機体に銃撃を加える際、沿岸に生えていた松の木に二式大艇を係留したというものがあるが、この写真でも沿岸に松が並んで生えているのが確認できる。
しばらくして機体が向きを変えたため漁船に乗り換え、そこから撃っている。その後燃料に引火し機体は爆発、炎上。「顔が熱く、髪が焼けるようだった」という証言もあるので岸からはかなり近かった様子。岸から20~50mといった具合だろう。
その後、機体はゆっくり河口に近づいてきた後、転覆して沈んだというがここで、証言と手記に大きく差異がみられた。
手記にはその日のうちに機体が尾翼まで完全に沈んだというように書かれている一方、Cさんの証言では水深が浅かったため尾翼やフロートなど、機体の3分の1ほどは水面から出ていたとされている。
証言によると機体が完全に沈んだのは9月に入ってから。台風の際に壊れて沈み、完全に見えなくなったとされている。ただ、現場に行くと1mほど下に沈んでいるのが見え、また干潮の際にはプロペラが水面から出ていたという。
そして終戦の翌年、もしくは翌々年、Bさんの家の船がそのプロペラにぶつかった。
今でこそ、この二式大艇処分の話を知る人は少ないが当時は多くの人々に知られており、いろんな人が機体の残骸を見にきたり、その一部を持って帰ったりしていたようである。そして昭和25年10月、どこからともなく話を聞きつけてやってきたサルページ船が機体を引っ掛けて回収していった。現状として、どこまで回収していったのかという部分は不明である。
機体は処分時に爆発炎上し、その後も台風で破壊されているので回収時に完全な状態であったとは考えにくい。もしも残骸が散らばっていたのなら、回収されなかったものがまだ湖底にあるのではないかと思っている。
以上がこの二式大艇の処分から回収までの流れである。
・まとめ
今回、二式大艇の海没処分について調査を行い新たな事実が分かった。残念なのは我々が調べるまで、この事実は戦後70年以上山陰地域のどの歴史文献にもまとめられず、ずっと埋もれたままであったということである。
また、この一連の調査結果は証言にあった処分現場とされる場所から機体の残骸等が出てこない限りはあくまで「仮説」の域を出られない。今後何らかの形で世間の関心が集まり、然るべき組織によって本格的な海底調査が行われることを強く望む。
そしてこの二式大艇のエピソードが戦争に関わる歴史的事実として地域で広く知られることとなり、永く伝わっていくことを願うばかりである。
~おわり~
海底に眠る海軍機。 隠岐編 ~美田湾の飛行艇~
こんにちは。
前回の記事では中海に海没処分された二式大艇について書きました。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
結果的に機体は引き揚げられていたとのことで、少し残念でしたが、何より長い間詳細不明だったものが今回の調査ではっきりと分かって良かったと思います。
今後は得られた証言を歴史資料としてきちんとした形で残すということをやっていこうと思います。機体の有無以上に大切な作業です。
さて、今回はまたその二式大艇とは別の話。
二式大艇についての証言を得る前、安来市立図書館にて資料を探していると「島根県歴史大年表」という本にこのような一文がありました。
昭和20年8月17日、黒木村の美田湾という場所で飛行挺を機銃で銃撃処分した、と書いてあります。
見つけた当初は例の安来市の二式大艇のことかと思いましたが、日付が異なることからそれとは別のものだと判断しました。
他の文献もいくつか見てみましたが、一切この件に関する記述がありません。
これも記録に残っていないパターンか・・・?
そもそも黒木村の美田湾とは........一体どこのことなのでしょう.....??
黒木村という地名も美田湾という港もこの辺りでは聞いたことがありません。
調査を進めていくと、島根県隠岐の島に「黒木」という地名が部分的に見られることがわかりました。
どうやら現在の「西ノ島町」という地区がかつての黒木村だったようです。
合併で地名が変わったのですね。
↓こちらを参照。
そうなると美田湾というのは・・・
ここの事を言うのでしょう。「美田」という地名があります。
そして幸いにも美田湾の海図が手元にありました。
(海上保安庁刊行 W116)
結構な部分が未測ですね。
湾内に険悪地の記号が見られないことからこの時点で、機体は未測領域にあるか、もしくは引き揚げられたということが予想できます。
さて、黒木村の美田湾の場所はわかりましたが、この飛行艇の詳細や当時の様子などは未だ一切不明です.....
隠岐の島に行こうにも......遠いです。そして結構フェリー代が高い。
そこで資料を持っていそうな場所へ電話で問い合わせてみることに・・・
西ノ島コミュニティ図書館「いかあ屋」という場所です。
「行こうよ」みたいな意味の方言ですね。
事情を説明し、資料がないか聞いてみました。
数時間後返事が返ってきて、
「残念ながらこちらに資料はありませんでした。しかし、当時一部始終の様子を見た。というおじいさんが近くにいらっしゃいます。」
ということでした。
なんと、「実際に見た。」という方がおられました。
今回も運がいいです。
その後、図書館を通じてその方と連絡を取ってみましたが、お話を聞かせていただけることになりました。後日伺う予定です。
また、「西ノ島 戦争」でGoogle検索をしたところ、このような動画が出てきました。
↓これです。
この動画の冒頭部分に美田湾の飛行艇と思われる飛行艇の話が出てきます。
これによると戦争時、美田湾にいた飛行艇は偵察機であるとのことで、終戦後しばらくして引き揚げられたとのこと。
機体についていた岩ガキをみんなで食べたという話がとても印象的ですね。
以上、今現在で分かっていることはこれだけです。
空襲もなく平和な島だったという隠岐の島ですが、それ故、戦時下の様子などの資料がとても少なく、今回の飛行艇が一体何という部隊の何という飛行機だったのか、他にも飛行艇はいたのか、どのような基地がおかれていたのかなど、不明な部分が多いです。
来春以降に隠岐の島に行こうと思っているのでその時にまた新たな情報があったらご紹介します。
隠岐には以前から一度行ってみたいと思っていたので、いい機会です。
~続く~