UCHIMACHI BASE

主にバイクやその他の趣味について書いてます。

②湖底に消えた二式大艇。 ~尾翼にぶつかったポンポン船~

こんにちは。

前回の記事では得られた証言を元にして、二式大艇の海没処分場所をご紹介しました。

 

 

 ↓前回の記事

akiyuki2119067018.hatenablog.com

 

 

Twitterにて記事の宣伝をしたところ、多くの人にリツイートしていただき、普段と比べてめちゃくちゃアクセス数が増えました。

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二式大艇って結構みんな知っているんですね。

最近はゲームやアニメなども昔の兵器を題材としたものが割りと多いので、その影響もあるのかなと思います。

まぁ何であれ、多くの人に知っていただく事ができ、大変嬉しく思います。

 

 

 

 

 

 

さて前回、友人のおじいさんの証言において、「同じ部落の人の船が沈んだ二式大艇の尾翼にぶつかった」というものがありましたが、今回はその船の持ち主だった方からお話を聞くことができました。

 

 

 

今回お話をしてくださった方は二式大艇にぶつかった方の息子さんで、終戦時はまだ5歳だったそうです。

衝突事件は終戦から1~2年後の出来事であったということ。

 

 

以下、証言の要約です。

 

飛行艇の件は知っておりますが、海没処分した時は幼くて記憶にありません。しかし、その後のことは多少覚えております。我が家は昭和の初め頃から、昭和50年頃まで生コン用の川砂を採取し、運搬、販売する仕事をしておりました。父は中国へ出征しましたが、戦後まもなく復員して参りました。その後、家業の川砂の仕事を再開しましたが、父は二式飛行艇の事を知らず、川砂運搬中に船を垂直尾翼に当ててしまいました。船の肋骨が2本折れ、3本目で止まりました。砂を積んでいたため浸水が激しく、農業用の川舟2艘に挟まれて何とか船着き場に戻りました。船は修理しましたが、再びこういうことがないように、尾翼が沈んでいる部分に櫓をたてました。岸から20~30mだったと思います。

しばらくして、二式飛行艇のフロートが打ち上げられ、岸辺に長い間放置されておりましたが、いつの間にか無くなりました。亜鉛葺きの錨は、我が家の船に使っておりました。これは、昭和50年頃廃業した際に、知人に譲渡しました。その船も古くなり沈めてしまったそうです。

櫓は朽ち果て、今はありません。飛行挺を引き揚げたという話も聞いておりません。」

 

 

 

なかなかに興味深い内容です。

この方もまた、お父さんの後を継いで15年間ほどこの砂の運搬の仕事をしていたといいます。

仮に廃業したのが昭和50年だったとすると、その15年前の昭和35年、20歳の時に始めたということになりますね。まぁ大体16~20歳、終戦の10年後以降だと思います。

 

 

また、二式大艇の錨を引き揚げて自分の船で使っていたということですが、なんとまぁ・・・戦後も活躍していたんですね、二式大艇

おそらく櫓を作ったときに引き上げたのではないかと思いますが、詳しい入手過程は不明です。

最終的に錨は廃業時に船のエンジンと一緒に知人に売ってしまわれたそうで、もう誰に売ったかも覚えていらっしゃらず、行方が分らないとのこと・・・

ちなみに船はエンジン付きのいわゆる「ポンポン船」と呼ばれる木造船です。

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↓ちなみにこれがそのエンジンです。
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また当時、その木造船が通っていた航路は大体こんな感じ。

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             (Google mapより引用)

 

 

木造船なので真水が流れている村近くの川に船を停泊させていたようです。

 

おそらくそれがこの川だと思います。

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また、尾翼の場所に目印のために立っていたという櫓ですが、今現在はありません。

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 朽ち果てて無くなったらしいです。気が付いたらもうなかったとのことですが、いつまでそれがあったのかは不明です。

また、潮が引くと出ていた尾翼も、いつのまにか無くなっていたそうです。

 

 

 

 

 

気になるのは「二式大艇はまだそこにあるのか?」というところですが、今のところ回収されたという証言もなく、かといって機体も出てきていないことからなんとも言えないという感じですね。

ここまで詳細に色々な事を知っていて近くを毎日船で通っていた今回の証言者の方が、かなりの規模になったであろう引き揚げ作業に気が付かず、知らないというのもなかなか考えにくいことのように思いますが...どうなんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、新たな証言が得られ、処分後の様子が少しずつ分かってきました。

また、今回もまた別の目撃者の方を紹介していただいたので、その方と連絡が取れればこれで証言者は3人になります。

どの方も快くお話を聞かせてくださりとても助かっています。

最終的に、この件は機体の有無に関わらずきちんと詳細をまとめ、郷土の歴史として記録に残したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

               ~続く~