中海に沈んだ海軍機たち。
こんにちは。
一式陸攻の事を調べ始めてから数ヶ月がたちました。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
まさか近所の湖に過去に爆撃機が落ちたなんてそれまでは夢にも思いませんでした。
まぁ、それはさて置いて、ここ数か月の間に、インターネットや郷土の歴史資料、基地の関係者や海軍OBの方々の体験談などを通して色々なことを知りました。
その多くは私の知らない話だったので大変勉強になりました。
こういう事実を知っていくことで同じ場所であっても見る目が変わってきます。
早速本題に入りますが、ここ数ヶ月で見聞きした資料や証言から、
ということが分かりました。
訓練中の事故や、戦後の機体処分など様々な理由でこの周辺にはたくさんの飛行機が墜落、あるいは不時着し、海の底へと沈んだらしいのです。
しかし、それらが具体的にどこに落ちたのか、そしてその後どうなったのか等のことは曖昧で記録に残っていません。
なので今回はそれらの記録と、海図とを照らし合わせて色々と考えてみたいと思います。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
今回、お話を聞かせてくださった自衛隊OBの方のホームページにこれらが詳しくまとめられています。ぜひご参照ください。
http://navy5532.com/kataribenosekimu.new.html
ここを参考にしながら、海図の険悪地と照らし合わせていくつか紹介します。
01:離陸に失敗した「銀河」が中海に墜落。
これは訓練中の事故だそうです。
「西側(中海側)へ離陸したかと思ったら上昇せず、そのまま二回ほど左に小さく旋回ながら中海に墜落した」という証言があります。
(海上保安庁刊行 W1174)
海図があるので見てみましょう。画像は旧滑走路の画像を海岸線に沿って海図と合成したものです。
東西にのびる白っぽい滑走路、(第一滑走路と資料にはあります)その西側の赤まるを見てください。「#」の記号があります。ちょうど左に旋回したような位置です。
近くまで行ってみました。
海図を見れば分かるかと思いますが、この「#」の位置はちょうど航路誘導のための浮標の真ん中にあるのです。そうなると遊泳や船の停泊は禁止。許可なしに捜索はできません。
まぁ、泳いで行ったら死ぬような距離ですが。
ズームしてギリギリ浮標が撮れました。
この浮標の真ん中には何かが落ちてます。
02:「彗星」が日本海側へ墜落。
これも訓練中の事故だということです。
美保湾へ向けて離陸した単発複座の艦上爆撃機、「彗星」が黒煙を噴きながら日本海に墜落したとされています。
日本海側の海図についても先日新たに購入しましたので、見てみましょう。
(海上保安庁刊行 W116)
こちらも海図と旧滑走路を合成してみました。
四本あるうちの右肩上がりに伸びる黒っぽい第二滑走路、この延長線上にも「#」の記号が多数見られます。ちょうどいけすのある場所です。
うーん、これも偶然でしょうか。
この周辺は漁礁がたくさんありますが険悪地の記号があるのは唯一ここだけです。
一体これらは何なのでしょう......
03:高射砲に撃たれた米軍機が島根半島沖に墜落。
戦時中、島根半島の高尾山には8門の高射砲が配備され、終戦間際まで隠蔽されていたと言われています。
それらが終戦間際に美保湾上空に米軍の飛行艇(双発のマーチン型)が飛来した際、これに対して一斉射撃を行い、被弾した飛行艇は島根半島北方海域に着水したそうです。
その後、その上空を飛来した同型機が乗員を収容し、被弾機を水没させて退去したということが語り継がれているのですが、資料も少なく、詳細は一切不明です。
これも海図に載っている範囲内の話です。
(海上保安庁刊行 W116)
この海域にみられる「#」の記号は1つ。高尾山の北、1400mくらいの沖合にあります。
この周囲の険悪地はこの場所だけです。
これは結構有名な話だと思います。
これについては搭乗員の方が書かれた手記「最後の飛行艇」という本に詳しく書いてあります。
日本海軍の傑作飛行艇である二式大艇(詳細は割愛)は全部で167機ほど製造されましたが終戦後、作戦行動が可能であった機体はわずか3機だけだったそうです。そのうちの一機が香川県にある詫間基地への移動中に中海に着陸し、搭載機銃による銃撃によって海没処分されています。当時、処分の様子は付近の住民も多数見守っていたそうです。
本によると安来市西方の湖上に一晩停泊したのち処分にかかった、とあります。
また、「安来の郵便局に事情を説明して」という一文があることから停泊した場所は安来市内の郵便局に近い場所だったのではないかと推測できます。
最終的にどこで処分を行ったかという詳細は書かれておらず、一切不明なのですが、付近の沿岸には水田が広がり、市街地からは離れた場所だったということです。本には停泊位置から移動したという記述はありません。
当初は取り外した機銃を岸に据え、そこから撃とうとしたそうですが、風で飛行機の向きが変わってしまったため、漁船を借りて飛行機の真横に移動し、そこから撃ったということです。燃料タンクに引火した飛行挺は激しく燃えながら沈んでいったと記載があります。
また、二式大艇の全高はWikipediaによると9.15m。本には最終的には尾翼も沈んで見えなくなったとあるので、その場所の水深は7~9m程度はあったのではないでしょうか。機銃の射程や命中させることを考えると岸からはそこまで離れていないと思います。
以上の情報をまとめると
- 処分前夜、安来市の西方に停泊していた。
- その付近には郵便局がある。
- 海没処分現場は市街地から遠く離れた場所で、沿岸には水田が広がっている。
- 沈んでいる場所は岸からさほど離れておらず、水深は7~9m程度(予想)。
という感じになりますね。
検証してみましょう。
家に干拓計画の地図がありました。1960年ごろの地図なので終戦直後とは異なる点が若干あるかと思いますが、他に無いのでこれでやります。
これで当時の土地利用の状況を知ることができます。
この地図と海図を照らし合わせます。
とりあえず、まずは海底の「#」を見ていきましょう。大きな物が沈んでいれば海図に険悪地として載っている可能性が高いです。
(逆にこれが無い場合はもうどうしようもありません。)
海図に載っている範囲で確認できる「#」の記号は5つです。
それぞれに番号をふっています。
(海上保安庁刊行 W1174)
まず、3、4について、ここは安来港です。
(海上保安庁刊行 W1174)
ここは市街地からは割と近い位置にあります。
護岸が埋め立てられ、昔と今とでは地形が変わっていますね。
現在、水田は見当たりませんが昔はあったことが地図から読み取れました。郵便局もあります。「#」の場所も中心市街地からは微妙に西にあります。
かなりの好条件に思えますが、水深が3~4mしかありません。
仮に戦後70年の間に浅くなったとしても、5mも浅くなるとは思えません。
実際に行ってみました。
こんな場所です。
ちなみにここが安来郵便局。
昭和15年の時点で既にここにあったことから、おそらく基地に電報を送るため立ち寄った「安来の郵便局」というのはここだったのではないかと思います。
水深と市街地との距離から考えて、ここは違うように思います。
続いて2について。ここはどちらかと言うと安来市の東側です。
そして岸からは遠すぎるように思います。こちらも水深が6mしかありません。
(2つを1つにまとめてしまっています。)
これもおそらく違うでしょう。
最後は1について。ここは鳥取県彦名町の埋め立て地の沖合いで、水深8.8m。
埋め立て前の沿岸は水田だったようです。ここは安来市の対岸でやや西より。北北西といった具合でしょうか。
#の場所は埋め立て前の海岸線からは約1km。岸から機銃で撃つにはちょうどよさそうな位置に思えます。
ここも実際に行ってみました。
彦名干拓地。現在、旧沿岸には耕作放棄された水田が広がっています。市街地からは遠く、家もまばらです。
ちょうどここからまっすぐに200mほどいくと例の「#」がある地点に行けます。
対岸に見えるのが安来市です。
ここは水深や沿岸の水田などは条件に合致していますが、安来市から離れすぎているのが気になります。
もし、この場所で処理を行ったのなら安来市沿岸で停泊した後、処理のため対岸まで移動したということになるのですが、それを裏付ける証拠は一切ありません。
また、祖父がこのあたりの出身(終戦当時は小学校3年生)ですが、こんな話は一切知らないし、聞いたこともないとのこと。
米子市の戦争資料にも二式大艇が云々という記載は一切見られません。
また、この二式大艇が紹介される時には毎回のように
「島根県の中海に海没処分された。」という書かれ方をされていることから少なくとも島根県側なのかなと思います。
上記の2箇所よりは好条件に思えますが、安来市から離れすぎていることと、鳥取県内であるという理由でここではないように思います。
う~ん。どれもダメですね。
そこで次は海図の記号関係なしに条件に合う場所を安来市周辺に絞っていくつか探してみました。
現在の地形についてはこの埋め込みのマップをご参照ください。
まず、ありそうだと思ったのはこの付近。
現在の「荒島駅」の近くの沿岸部です。安来市の西方にあり、沿岸には水田が広がっています。
海図がこれです。
(海上保安庁刊行 W1174)
水深は5~6m程度で「#」の記号などは特にありません。
実際に行ってみました。
割とそれっぽい場所にありますね。
ただ少し、水深が足りないように思います。
もう一つあります。それがこちら。
安来市の西端です。中心部から少し離れすぎとも思いますが水田などの条件に合致している場所です。
この緑の部分は埋め立て予定地で、現在はこの地図とそっくりそのままに埋め立てられてしまっています。
ちなみに海図はこれ。
(海上保安庁刊行 W1174)
現在埋め立てられている場所の元の水深は今となってはもう分かりませんが、この周辺全域が水深2~3m程度であることを考慮すると恐らく同じような深さだったと思います。
これでは余りにも浅すぎますね。
一時はここが私の中で最有力候補だったのですがこの水深を考えると可能性はだいぶ低いと言わざるを得ません。
以上いくつか候補を紹介しましたが、納得のできる場所は一つもありませんでした。
そもそも安来市付近で処分したのではなく、どこか遠くへ移動したのかもしれません...
とにかく一切不明です。
これは安来市の戦争記録などを参照してみる必要がありそうです。(載ってるかは微妙ですが。)
以上で紹介は終わりです。
墜落機と海図の険悪地、私にはこれらが何か関係がありそうだと思えてなりません。
その他にも戦後に事故で大破した占領軍のスピットファイアを基地周辺に埋めた等の興味深い話はまだまだありますが、また別の機会に回します。
~続く~
04:一式陸攻を探す旅。~湖底の険悪地~
こんにちは。
8月も終盤に差し掛かり、海水浴シーズンも終わってしまいましたね。
今回は2度目の探索です。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
前回は一体どの方角に泳いでいるのか、岸から何mの場所にいるのかなどが全く把握できませんでした。
その対抗策として今回は.....スマホを持って泳ぎます。
家電量販店にスマホの防水ケースが売っていました。
水中には入れるなと書いてありましたが、それなりの防水規格に合格しているものらしいです。もともとスマホのほうも30cm程度の防水性能があるので多分大丈夫。
結果からいうと、まったく問題ありませんでした。
緯度、経度を表示してくれるGPSアプリを使って狙ったポイントに行こうと思います。
場所は前回の記事でも紹介したこの浅瀬。
(海上保安庁刊行 W1174)
今回の目的はこの浅瀬の底がどうなっているのかということと、湖底の掘削範囲外である旧海岸線から1km地点まで泳いでたどりつけるかという検証です。
台風が去った翌々日の日曜日。運よくこの日は波がなく泳ぎやすそう。
少なくとも前回よりは水がきれいです。
装備を固め、いざ入水。
こういう海水浴場でない場所を長時間泳ぐときは絶対に2人以上で、なるべくウエットスーツ生地の長袖、長ズボンで泳ぎましょう。小さい頃なんかはライフジャケット着て泳いでました。
GPSアプリと魚探を頼りに海図から測った座標を目指して泳ぎます。
相変わらず水は汚いです。透明度は2mくらい。自分の足の先がようやく見えるくらいです。
ミズクラゲがいっぱいいます。
ミズクラゲに刺されたという話はめったに聞きませんが、一応毒があるようです。
こういう時も長袖、長ズボンだと安心です。
コンパスで方位を見ながら、ひたすら南西に向かって泳ぎます。
岸から150mくらいの位置から急に水深が深くなりました。掘削範囲に入ったのです。
(海上保安庁刊行 W1174)
そのまま泳ぐこと約20分。水深は再び6mへ。どうやら例の浅瀬に乗ったようです。
潜ってみると湖底はただの砂。湖底付近は海水が流れていて、所々茶色がかっています。生き物も少なく、まっさらな砂地です。
泳いでる様子。
水が濁っているため、海面付近からでは底が全く見えません。これでは探しようがないですね・・・
その後、旧海岸線から1kmの地点を目指しましたが、潮に流されて目的の位置まで到達できず。気温が上がり波も出てきたのでそこで引き返しました。
帰宅後、あの現象の起きた場所の座標をメモしておいたので海図に照らし合わせてみました。
(海上保安庁刊行 W1174)
+の印をつけた場所がその位置です。スマホが安物なのでGPSの座標に多少ズレがあるかとは思いますが大体この辺り。旧海岸線からは750m、証言の通り不時着を目撃した漁師さんの家のほぼ真正面の水深10mの地点です。
湖底の様子を確認しようにも10mも水深があるとなれば素潜りでは厳しそうです。
それはそうと、以前から海図を見るたびに気になっていましたがこの#の記号は何なのでしょう。
(海上保安庁刊行 W1174)
少し調べてみるとこの記号は険悪地というものを示す記号だと分かりました。。隣の()内の数字はその水深です。
険悪地とは何かというと・・・
海底に存在する、コンクリート塊、沈木、銅材、その他錨泊、底引きなどの漁業に障害となる、異質物が存在する地点又は区域。
ということらしいです。
これは怪しい・・・。
(海上保安庁刊行 W1174)
この「#」の場所は先ほど印をつけた場所と近く、当時不時着を目撃した漁師さんの自宅のほぼ正面で、旧海岸線から約750mの地点。水深6mの2つの浅瀬に挟まれており、この物体がある場所の水深は12.4m。
矢印が使用したと思われる滑走路、赤い星印が目撃場所、ピンが険悪地です。
どうでしょうか。何も関係のないただのゴミという可能性も捨てきれませんが、それにしても場所が良すぎます。
しかし、水深が12.4mもあるというのが少し気になりますね。
ここの水深は元々6m程度なので12.4mのこの場所はほぼ確実に掘削されて水深が深くなった地点です。(掘削地点には無いというのが当初の予想でした。)
「砂を掘ったのが原因で山のようになって残った浅瀬が崩れて下に落ちた。」とすればなんとなく説明がつきますが・・・
一体これは何なのでしょうか??一式陸攻なのか、それとも冷蔵庫などの粗大ゴミか...
そこで、この険悪地の記号について、海図を作成した海上保安庁に聞いてみました。
すると、いくつかの情報とともに水深測定の記録用紙の写真を送ってくれました。
(諸事情あって、ここの画像は私が書いた模写です。)
この茶柱みたいな棒が例の物体を指します。これではよく分かりませんね・・・
近年海底調査で大活躍しているサイドスキャンソナーのような機材はこの海域の測定には使用しておらず、海保でもこれ以上の情報は持っていないということです。
サイドスキャンソナー(海底面状況探査) | 地形・地質調査 | 沿岸海洋調査株式会社
この物体は高さが80cm程度であるそうです。
飛行機にしては小さすぎますが、この辺りはかなりの深さまでずっと砂地で、さらに砂の掘削のためにかなりの量の砂が動いています。それを考慮すれば物体の大部分が砂に埋もれていたとしても不思議ではありません。
実際、平成4年に鹿児島県西部の吹上浜で引き揚げられた零式水上偵察機は発見当初、このように砂に埋もれてしまっていたそうです。
これなら高さ80㎝といってもありえなくもないような...
とはいってもまぁ、たったこれだけの情報では確定するには至りません。
こればっかりは実際に現地に行って、湖底を見てみるまではこれが一式陸攻なのか、それともただの粗大ゴミなのか判断することができません。
しかし、水深12mまでどうやって行くか、湖底をどうやって見るか、それが非常に難しいのです・・・・・
~続く~
タウンメイトを格好よくしたい!!!
こんにちは。
先月、15年の長い眠りから目を覚まし、再び我が家で元気に走ってるタウンメイト2号ですが、
akiyuki2119067018.hatenablog.com
タイヤはボロボロのツルツル、塗装も色あせていて、みすぼらしいです。こういうのも嫌いじゃありませんが、せっかくレストアしたのだから見た目くらいは変えたい!!あとタイヤも!!
ということでタイヤの交換と塗装をしました。
買ったタイヤはこれ。
MICHELIN(ミシュラン)バイクタイヤ M35 前後輪共用 2.25-17 38P REINF チューブタイプ(TT) 869590 二輪 オートバイ用
- 出版社/メーカー: MICHELIN(ミシュラン)
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IRC(アイアールシー)井上ゴムバイクタイヤチューブ 2.25:2.50*60/100*70/90-17 バルブ形状:TR4 リム径:17インチ 25955B 二輪 オートバイ用
- 出版社/メーカー: IRC(アイアールシー)
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一本2000円でした。価格の割にはかなりの高品質!!さすがミシュラン。
チューブやバントも買って合計6000円程度。(これで所持金が尽きました...)
タウンメイト50のタイヤ規格はインチ表示で前後ともに2.25-17というものを買えばいいです。リム径が1.4のベンリィは2.5-17を履いてたりしますけどタウンメイトはリム径が1.2なのであまりオススメしません。
(80ccのメイトはリアタイヤのリム径が1.4なので2.5-17を履いてます。)
なにせ初めてやったものですから大変でした。
もう使わないだろうということでタイヤを切るという暴挙にでる。(ワイヤーが仕込んであって結局取れなかった。)
よくもまぁこれで走れたなってくらいタイヤがボロボロ。あと、すごく臭い。腐ったエビみたいな臭いがします。
タイヤが外れたらリムの錆を落とします。
このように、ドリルの先端にワイヤーブラシをつけて削ると便利です。
↓こういうやつですね。
リムバンドをつけて(これがないとパンクする)、
DUNLOP(ダンロップ)バイク用リムバンド 16-17 バンド幅:16mm ゴム厚:1.0mm リム径:17インチ バルブ穴センター 151537 二輪 オートバイ用
- 出版社/メーカー: ダンロップ(Dunlop)
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あとは気合いで組む。
タイヤをつけるだけで2時間くらいかかりました。
終わったと思いきや、何とリアタイヤに空気を入れてもなぜか抜けてしまう...
どうやらパンクしてるようです...
面倒なのでこれを使いました。
Holts(ホルツ) パンク修理剤 タイヤウェルド (1000cc~2500ccまで) MH763 [HTRC2.1]
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車のパンク修理剤。本来はチューブレスタイヤ用ですが多分チューブタイヤにも使えるでしょう。
1回目、タイヤの空気を入れたまま使用し、失敗。逆流してきました。
この後、何度か噴射すると穴がふさがりタイヤ復活!!
穴がだいぶ小さかったようで助かりました。
次は塗装です。
まず、塗装剥離剤を車体に塗ります。劇薬なので皮膚につかないように注意してください。
塗装がブヨブヨのワカメみたいになって剥がれます。これが愛車にかかったらと思うと恐ろしい.......
塗装無しもかっこいいな...
。
昔のロケットみたい。
大体取れたら良い、くらいな感じで塗装を剥がしてます。剥がさなくても普通に塗れます。
各所にマスキングをして、
サビ止め効果付きの下塗り剤を塗ります。
私が使ったのは一本400円の安物でしたが、十分な仕事をしてくれました。
今回塗装に選んだ色はタミヤのダークイエロー。
タミヤスプレー No.03 TS-3 ダークイエロー 85003 【HTRC 2.1】
- 出版社/メーカー: 田宮模型
- 発売日: 1983/11/10
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ドイツ軍のタイガー戦車などでお馴染みの色です。
タウンメイトは全体的に「堅牢」って感じでメーター回りなんかもゴツく、ドライブシャフト駆動でエンジン音も50ccらしからぬ音がします。
なので、外装部品を一切変えないまま色だけ塗り替える場合、ミリタリー路線が一番自然だと思いました。また、オリーブドラブ(自衛隊の色)だと結構ありきたりなのであえてこの色に。
今後錆びたり、汚れたり、塗装が剥げたりした場合でもミリタリー仕様なら味になるかなっていうのもあります。
下地処理をきちんとしたので色の乗りがいいです。
これは期待大。
ウインカーも塗ります。
仕上げにクリアを吹きます。これは一本200円の安物。
他の商品は高いです。一本1200円くらいする。
この程度の塗装に吹くなら安物でもそんなに差はないと思います。ミリタリー塗装なので多少汚くてもいいんです。
部品を組み直します。ボルトやネジを丁寧にしっかり締める、これが大事。
その結果...
「タウンメイト、乾燥地仕様」って感じでいいですね~!!!
予想通りこの色は当たりでした。
筆で塗ったフロントフェンダーの色が若干濃いのが気になる...
その後、レッグシートをつけて完成!!!
随分、印象が変わりましたね。
まだ何も文字などを入れていないので市販カラーみたいな感じですが、ここから色々装飾を施して個性を出していこうと思います。
タイヤはまだ慣れてないせいかギクシャクしてますね。走ってるうちに直るんでしょうか?
ということで今回はここまでです。
~完~
03:一式陸攻を探す旅。~探索編その1~
前回の続きです。
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あれから日を改めて実際に泳いでみました。
それで1つ、分かったことがあります。
水深が異様に深い.....
なんと、先日載せていた地図では6mほどしかないはずの場所の水深が10m以上あるのです。ここは戦後に埋め立て工事の材料調達のため、湖底の砂を取ったという話は聞いていましたが、予想以上に範囲が広く、そして深い。
これは一体どうなっているのか。
海上保安庁発行の海図を買いました。
(海上保安庁刊行 W1174)
なんと、不時着した現場周辺はこんなに掘られていました。かつて6mだった場所が12m......なんと、2倍ほど深くなっています。
ここまでとは思ってもみませんでした。
掘られている範囲は旧海岸線から1000mあるかないかという所まで。証言の不時着位置と合わせると結構微妙な感じですが、もし仮にこの中に一式陸攻があった場合は探すのが困難です。
海図をよく見ると.....
(海上保安庁刊行 W1174)
赤丸で囲った部分ですが、所々浅瀬が不自然に残っている部分もありますね。
しかも、例の漁師さんの家の前で、旧海岸線からは600m~700m。
一体どういう理由でこのように浅い部分が残っているのでしょう?単なる気まぐれ?
それとも、何か湖底にあったものを避けたのでしょうか?まぁこれは都合のいい想像ですが。
さらに、太平洋戦争当時の美保基地の航空写真を入手しました。
戦時中、米軍が撮影したものだそうです。
ちょっと画像が汚いですが、滑走路が4本あるのが見えるでしょうか。現在とはどの滑走路も向きが異なります。
現在の滑走路って戦後に新設されたものだったのですね。
不時着した当時は安来市方面から風が吹いていたそうなのでおそらく、画像中の右肩上がりに伸びる一際細い滑走路、この第4滑走路を使用して離陸を試みたのではないかと思います。
そして、この4本の滑走路と現在の海図を照らし合わせると、このようになります。
(海上保安庁刊行 W1174)
手書きなので正確性にはやや欠けますが、第4滑走路から引いた直線は例の浅瀬と非常に近い距離を通ります。前述の「掘削作業時に障害物があったからここを避けた」というのもあながち間違っていないのでは.....
「よしここだ!!ここに行ってみよう!!」と梅雨が開けるのを待って再び海へ。
この日は波がない。
元々海水浴が趣味なので装備は一通り揃っています。
そして今回初登場の頼もしい新装備達。
ポータブル魚群探知機と防水カメラです。
魚群探知機は魚だけでなく水深と大まかな地形を測ってくれます。
これがあれば大丈夫だろう。
そう思っていざ入水。
が、
水がめっちゃ汚ない.........
なんと、50cm先すら見えません!!
腐ったお茶のような汚い緑色に濁っています。市のホームページによるとこの周辺の透明度は2.5mですからこの日は普段よりずっと汚いです。
先週の西日本豪雨の影響でしょうか。こちら側でも結構降ったので一気に河川の濁った水が流入したのでしょう。
中海は外洋に繋がる水路が狭いので水の循環が遅いのです。これはもうしばらく待たないと行けませんね.....
それと、まっすぐ泳ぐのが難しかったです。この辺りは微妙に流れがあり、知らぬ間に少しずつ流されてしまいます。GPSか何かがあった方が良さそうです。
水が綺麗になるまで少し時間をおいてみようと思います。
う~ん。どれだけ綺麗になるかなぁ.....
~続く~
甦れ!タウンメイト!!! ~完全復活編~
さて、前回12V化に無事成功(?)した2台目のタウンメイト。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
後は錆を落として錆止めをする、駆動部に油をさす、車体の掃除をする、など依然書いたような内容のことをしていきます。
塗装は来年に...ということになりました。
ついでにキャブレターも状態が良い2台目の方をオーバーホール。こっちはゴム部品が綺麗です。これならオーバーフローもしなくなるでしょう。
キャブクリーナーがなかったので、エンジンコンディショナーを使ってみました。
泡なので細かいところまで浸透することはありませんが、キャブクリーナーより汚れが落ちます。ジェットの詰まりが取れなかったのでオーバーホールしてあるもう一個のキャブと交換。
レッグシートもスリムにカット。
線を引くのは難しいのでこのようにテープで切る範囲を決めます。
いい感じです。
こんな感じで見た目がシュっとしました。
それとマフラー。なんと2台目の方のマフラーは腐って穴が開いていました。パワフルな音だな~って思ってたら...やっぱり....
なのでもう1台の方のマフラーに交換。
こっちはボルトがちゃんと取れるのであのような悲劇は起こりませんでした。マフラー買うと高いので部品取り車があってよかったです。
ついでに後輪も掃除済みの方に交換。
ちなみにマフラーガスケットのサイズを間違えて購入してしまいましたが切って直径を縮め、なんとか使っています。今のところ排気漏れは一切無し。
エアクリーナーのスポンジを買っていたので仕上げにこれを取付け。今までエアクリーナー無しでしか試走してなかったのであまりの豹変ぶりにびっくり。やっぱりこれ大事ですよ...
始動性もよく、走行した感じも良好。今すぐにでも公道が走れそうです。
今回のレストアは2日で終わりました。タウンメイトにも慣れてきましたね。
後はバッテリー買えば終わりです。
早くナンバー取りたい。
~続く~
蘇れ!タウンメイト!!! ~6V→12V化編~
前回の記事でエンジンが始動した2台目のタウンメイト。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
結構調子良いです。10年近く野外放置だったとは思えないほど。
ただひとつ、不満な点があります。
それはこの車両の電装が6Vであるということ。最近は12Vが主流ですから、6Vの電球やバッテリーは近所のホームセンターでは手に入らないんです。電球を買うのにいちいちネットで注文するのもめんどくさいなぁ...
今どき6V車も珍しいですから、あえて6Vのままにしておくというのも考えたのですが、ライトが暗いそうじゃないですか。
12Vのベンリィでも暗いのにさらに暗いというのは目が悪い私としては非常に困ります。
そういう訳で今回はタウンメイトの電装の12V化に挑戦します。
この年式のタウンメイトにはセルモーター搭載の12Vモデルとキックのみの6Vモデルの二種類があります。6Vモデルは12Vモデルに比べて発電量が若干低いようですが、数点の部品の交換だけで電装を12Vに変更できます。(ちなみに前買ったもう1つのタウンメイト50は比較的年式が新しい為、キックのみですが12Vでした。)
メイトに限らず大体のバイクでも同じようです。
12V化するにあたって交換しなければならない主な部品は...
バッテリー、レギュレーター、ウインカーリレー、電球、クラクション 、です。
12V車を持っているので幸いYAMAHAの純正部品が手元にあります。同じメーカーの同じバイクなので結構楽にできそうですね。
まずはウインカーリレー。タウンメイトの場合はスピードメーターの下らへんにあります。
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相変わらずヘッドライトの中はごちゃごちゃしてますね・・・
これです。ただ差し替えるだけでいいそうです。
それと、この隣にウインカーの音を出す部品がありますが、こっちは特に大丈夫だそうです。実際変えなくてもなんとかなってます。
次はレギュレーター。これは少し加工が必要です。というのも、6Vのレギュレーターは3極、12Vのものは4極なのです。
まぁ、ただアースが1つ増えるだけなんですが。
これが6Vのレギュレーター。
こいつが12V。
12Vレギュレーターの配線はこうです。
ちょっと分かりにくいので図に書きました。
....なお分かりにくいですが、まぁこんな感じです。私の使用した12Vタウンメイトの純正レギュレーターの配線はネットで調べて見た配線となぜか真逆でした。
おそらく汎用品はこの図を180度回転させた配線になるんじゃないかと思います。
カプラーから電極を抜いて差し替えるだけです。アースは適当に自分で作って車体の適当な場所に付けてください。
とりあえずどれがどれだか分からなかったら適当に繋いでキックしてみれば良いでしょう。ニュートラルランプが光れば成功です。
そして、バッテリーですが、6Vと12Vでは全く大きさが違うので、ステーを加工する必要があります。私は12V車を持ってるのでそれのものと交換しました。
切って対応している人もいます。
左が6V、右が12Vのもの。
車体の寸法は同じなのでスペースは大丈夫です。
買ったときに付いてきた15年放置のバッテリー。ダメ元で充電。
無理でした。新しいの買います。
↓メイトの12Vバッテリーはこの規格。スーパーカブと同じです。
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残りは電球とクラクション。
ヘッドライト、ウインカー、テールランプの他にニュートラルランプやメーター照明、スピード警告灯の電球も交換してください。T10という規格です。
クラクションもただ12V対応の物に交換するだけ。滅多に鳴らさないので一回限り鳴ればいいならそのままで良いかも....
以上で部品の交換は終了!
バッテリーが無いので何とも言えませんが、エンジンかかって電球が光れば大丈夫だと思います。ヘッドライトも明るくなり、これで夜道も安心ですね。
~続く~
蘇れ!タウンメイト!!! ~進路変更編~
キャブレター洗浄やクラッチの掃除でなんとか乗れるような状態に(多分)なったタウンメイト。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
「後は塗装のみ」という所まで来ていましたが問題が山積みです。
特にあのマフラーボルト。あれがどうやってもつきません。溶接ができれば多分いけるのですが....家に溶接機なんてあるはずもなく...。
じゃあ溶接屋を回ってみるかと言っても、持っていく為にはエンジン分解しなきゃいけないし、ならガスケットも買わないと.....
めんどくせぇ!!!!
にっちもさっちもいかなくなりしばらく放置していました。
メイト2台あるし、最悪パーツ取りに回そうかなぁ......いやぁでもなぁ.....ここまでやったし.....
なんて考えてる間に、
どこからともなくまた新たなタウンメイトがやって来ました(笑)
80ccの方のパーツ取りに、と4000円で買ってきました。50ccです。
数年間野外放置だったようですが、結構状態が良い。
シートも破れが一切無く、キャリアもついてます。
中古パーツでもネットで買うと普通に結構な値段がするので、車体1台丸ごとでこの値段ならずいぶんお得です。
まぁちょっと汚れてはいますが、塗装の状態的にもまだ生きてる感じです。
1台目よりはずいぶんマシです。
そこで、トラブル続きでだいぶ弱っていた私は思いました。
「よし、こっちをベース車にしよう。」
ええええええええ!?!?今までのアレ何だったの!?
って感じですけど、こっちのほうがずっと楽に直りそうなのだから仕方がありません。
と、いうことで早速OH済みのキャブレター を移植して、キックすること数回.....
エンジンかかりました。
タイヤに空気を入れて、家の前の空き地を走ってみましたが普通に走れる....
クラッチも固着していないですし、マフラーボルトも楽にとれそうです。←ここ大事。
なんと、たったの30分でレストア終了。
楽!!!!!めっちゃ楽!!!
一体いまさら何が悲しくてこちらを部品取りに回さねばならないのでしょう。
誰かわかる人がいたら教えてください。
ということで、次回からは、今ある2台の50ccを使って、1台に組み上げていきたいと思います。
あと、言い忘れましたが、こっちは6Vなんですよね..... (もう1台は12V)
~続く~
チープカシオにNATOベルト。
最近若者の間で再びブームだというわりには、私の周りには持っている人が全くいないチープカシオ。
[カシオ]CASIO 腕時計 スタンダード F-91W-1JF メンズ
- 出版社/メーカー: CASIO(カシオ)
- 発売日: 2013/10/31
- メディア: 時計
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様々な種類がありますが、安いものでは980円くらいから出ています。私の持っているのはその一番安くスタンダードなF-91Wというモデル。
時刻表示のほかにカレンダー機能、ストップウォッチ、アラームを備え、文字盤照明もついています。耐久性も素晴らしい。
生活防水なのにダイビングでも壊れなかったとか、マンションの10階から落としても大丈夫だったとか、20年間庭に埋まっていたのにまだ動いていたとか、数々の伝説(本当かどうか怪しい)があるようです。スーパーカブみたいだな。
少なくとも普通に生活してて壊れることはないでしょう。
そしてまたどこか近未来的でもあり古臭くもあるこの絶妙なデザインが良い!!
まぁそれで、色々調べていたら、これにNATOベルトを着けてる画像を見まして...それがなかなか良かったのでマネしてみました。
見た目というよりは機能重視ですね。純正のゴムベルトは数年で切れてしまうらしいです。
NATOベルトはナイロン製のベルトで元々NATO軍で使用されていたことからこう呼ばれます。
早速着けてみました。ベルト幅は18mmです。もとのベルトを外してそこにそのまま着けます。
結構ギリギリでした。最初は「また間違えて買ったかな」とも思いましたがこういうものなんでしょう。
腕に着けるとこんな感じ。
かっこいいかどうかはさておき、装着した感じはとてもいいです。
ついでに時計用の方位磁針も着けました。
これでgoogleマップから「北東に進みます。」とアナウンスを受けて「北東ってどっち!?....おい!!」となることも無くなるでしょう。
Gショックも持っているので今までは正直、これを使う場面がありませんでしたが今回ベルトを交換したことで、これからは使用頻度が増えそうです。
~おしまい~
02:一式陸攻を探す旅。~現地視察編~
先日、中海の底に人知れず眠っているかもしれないという一式陸攻の話をご紹介しましたが、あれから大きな進展がありました。
↓前回の記事。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
なんと、、、当時、不時着を目撃し、実際に救助に行った漁師の息子さん(当時小学校6年生)がまだご存命で、当時のお話を聞くことができたのです!!
その方曰く、
「初めはあまりにも高度が低いので水上飛行機かと思っていた。その後、主翼が水面を叩き始めそのまま主翼を軸にくるっと水面で回転し、ちょうど自分の家の前の沖合い500mくらいの場所に着水した。しばらくすると機体上部の方から人が出てきて、手を振っている様子だったので父と共に船で救助に行った。」とのこと。
衝撃的な出来事だったのであれから73年たった今でもよく覚えているそうです。
検証してみましょう。
これが不時着現場周辺の現在の地図です。
(国土地理院より引用)
地図の上のほうに飛行場があります。出っ張っているのは戦後に滑走路延長のため、埋め立てられた部分です。
その漁師さんの家は「米子市」という文字のちょうど「米」の辺り。昔はここが海岸線でしたが、ここも戦後、工場誘致のため200mほど埋め立てられています。(工場誘致は結局失敗に終わり今はソフトバンクのメガソーラー発電所になっています。)
しかし、その漁師さんの家の正面(地図でいうと海岸線に垂直)はずいぶんと現在の滑走路から外れた位置にあります。
一体これはどういうことなのでしょうか。
この謎を解く鍵は手記の中にありました。
手記には
「21:30。最初に離陸線に着いた。風は左前方、安来市方面から吹いていたので中海に向かって滑走路を始めた。」という記述があります。
(Google mapより引用)
写真を見てください。飛行場から見て安来市は確かに左前方、方角ではほぼ真南にあります。
そして、この方向から風が吹いていたということなので、この時おそらく現在の滑走路に対してやや左斜め向きの方向に離陸を試みたのでしょう。当時の滑走路は現在のものとは全くの別物で、本数も4本あったそうです。
そしてその方向(安来に向かって)に飛び、すぐに着水した場合、ちょうど救助に行った漁師さんの家の真正面辺りになります。
辻褄が合いますね。
そしてまた先ほどの国土地理院の地図です。
(国土地理院より引用)
全高が5mほどある一式陸攻が水面に隠れるには少なくとも6m以上は水深が必要だと思います。漁師さんの証言では不時着位置は旧海岸線から500m、手記では1000mと記載されており証言にズレがありますが、不時着したのは深夜あるいは早朝の暗い時間帯だったようなので正確に目視で距離を測るのが難しかったのでしょう。
手記の記述と漁師さんの証言、地図上の水深データから、不時着した地点は旧海岸線から大体600m~1200m、水深6~7.5mほど(当時)の湖底だったのではないかと予測が立ちます。
さっそく行ってみようという話になり、現場へ。
道を間違え、道なき道を行くことに.....でもジムニーだから大丈夫。抜群の走破性で現場に到着。
ここがその現場です。ここから正面に400mほど行った所が先ほど予測した地点です。
この日は風があまりにも強くとても泳げる状態でなかったため捜索は断念。
遠すぎて見えませんがこの先に美保基地があります。
今回はここまでです。
ここで一つ気がかりなのが、もう既に過去に見つけられてしまって処分され、現存していないのではないかという点ですよね。
この辺りは戦後にだいぶ整備され大きく水深が変わってしまっています。また、干拓事業の際に海底調査が何度も行われているようです。水深の浅い穏やかな海ですからあれほどの鉄の塊など見つからない方が不思議なくらいです。
しかし、過去に発見されたということはないと私は思っています。
当時、この不時着を知る人はごく僅かに限られました。離陸を見守った管制官ですら戦後十数年経ってから不時着したことを知ったくらいですから本当に誰も知らなかったのです。手記も発行部数は400冊ほどでそのほとんどが戦友やその遺族の方々のもとへ配られました。
よって戦後、行政や自衛隊が不時着を把握し、「あの時不時着したから調査して引き揚げよう」という話になることはおそらくなかったと思います。
残る可能性として挙げられるのは干拓事業の際に偶然見つかったというものですが、この可能性も薄いと思っています。
私の曾祖父は県の土木課に勤務しており、干拓事業の際はその責任者の一人でした。
しかし、中海から飛行機が揚がったという話は家族の誰も聞いたことがありません。
もっと言うと、当時救助に行ったあの漁師さんさえもそんな話は聞いたことがないとおっしゃっていました。
一式陸攻はサイズがかなり大きいですし重さも15tほどあります、そしておそらくこの機体は250kg爆弾を4発ほど積んだままです。
250kg爆弾一発で巡洋艦が撃沈できると手記に書いてありましたからこれはめちゃくちゃ危ないです。そんなものが海底調査の際に水深10m足らずの湖で見つかったら当然大騒ぎになります。新聞にだって載ったでしょうし、海もしばらくは立ち入り禁止になったでしょう。市史に残る大事件です。
ゴミだと思って書類報告も無しに捨ててしまったというのも考えにくいです。
以上から、現在も湖底に沈んでいる可能性は高いと思います。
本当は今にでも警察や自衛隊に届け出たい所です。しかし現段階ではまともに対応してもらえないでしょう。
そりゃそうです。戦後73年にもなって、「湖に爆撃機が沈んでるぞ!!!」なんて証拠も無しに言ってる一般人がいたら寒いイタズラか何かだと普通は思います。
向こうも仕事で忙しいですからそんな訳の分からないものを相手にしている暇はありません。
それに地元の共通認識として中海と戦争はあまり結び付くことがないのでなおさら嘘臭い話に聞こえてしまいます。
とにかく証拠を示さなければ何も始まりません。
泳ぐかぁ.........水、臭そうだけど.......
~続く~
01:湖の底に一式陸攻...?
先日タウンメイト80を譲っていただいた近所の中華料理店から、今度は太平洋戦争時に一式陸攻乗りだった先代の店主の手記を貸してもらいました。
タウンメイトについてはこちら。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
500ページに及ぶ大作、書き上げるのに10年もかかったのだとか。米軍や防衛省に連絡をとって検証を行い、巻末には戦果や当時の状況など様々なデータが詳細にまとめられています。
文章がとても上手なので戦争に詳しくない方にも読みやすいと思います。
これだけ貴重な内容の本にも関わらず、世にほとんど出回っていません。400冊ほど発行されたこの本の殆どは戦友とその遺族の方々の手に渡りました。
好評だったため、後に大手出版社から再販の話もあったそうですが断ってしまったそうです。ですので現在、一般人が読めるのは市立図書館と国立国会図書館にある2冊くらいしかありません。
早速読み進めていると...
目次のなかにとても気になる項目がありました。
1945年8月、終戦の3日ほど前になって突如進軍してきたソ連軍艦を迎え撃つため出撃した際、離陸に失敗して夜の中海に不時着したという話です。
神業のような着水で幸いにも負傷者はなく、全員無事だったそうですが当時、管制塔が無事離陸したと(終戦後まで)勘違いしており救助が来なかったとのこと。
「仕方ない泳いで帰るか」というところへ近くに住む漁師の親子が手漕ぎ船で助けに来てくれた。その後、救助に来なかったことに腹が立ち、結局軍に事故報告を出さなかった。というようなことが書いてあります。
手記によるとこの時、飛行機は美保基地から中海に向けて離陸しました。美保基地は現在では自衛隊の基地と、空港になっています。空港のほうは「米子鬼太郎空港」という変わった名前です(私は気に入ってますが)。
(Google mapより引用)
水深は最も深い場所でも17mと比較的浅く、大部分が水深10m以下です。
昔は海水浴や漁業もある程度されていたようですが、水質汚染によってその数は激減。
今では海水浴などもってのほか、漁業もほとんど行われておらず....つまりめったに誰も入らない湖なのです。
この辺りで一式陸攻が見つかった、引き揚げられたという話はおろか、落ちたことすら知っている人はいません。
もっと言えば、昔この辺りに旧日本軍の基地があったことでさえ知っている人はそう多くはないのです。
今回のことから、一つの仮説が立ちます。
それは...一式陸攻の完全な状態の機体が水深8mほどの湖の底に今も沈んでいる。ということ。
現在、国内にある一式陸攻の現存機体は山梨県の河口湖自動車博物館に復元機が1機あるくらいでもうほとんど残っていないようです。
これは貴重な戦争資料でもありますし、ましてや実際会ったことのある人の乗っていた機体です。できたら探してみたいと思います。
中海も最近、長年の努力によって泳げるほどには綺麗になりました(それでも泳いでいる人はいませんが)。これからもう少し情報を集めていこうと思います。
~続く~